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 茶道・華道・書道・香道・・・・、道の付く方面は全く不調法ですが、縁あって、事務所のある福島法曹ビルのエントランスに草月流の「生け花」を毎週飾るお手伝いをさせてもらいました。

   

 3ヶ月ほど経過したので、計12回の作品を楽しんだことになります。

http://www.takakan.co.jp/sougetu.html

 

 ビルに出入りする度に目に入るので、1日に5~6回は観賞しています。

 

 毎週月曜日に生け替えるので、同じ作品を30回、時間にして計15分ぐらいは見ているでしょうか。

 

 不思議なことに、なぜか、華道のことが少し理解できるような気がしてきました。

 

 花や素材を使って、―――空間を立体的に構成し、何かを訴えようとしている―――・・・何か伝わってくるものを感じるようになりました。

 

 それぞれ、異なった作品を10作以上見ていると・・・、訴えようとしている何かが分かるような気がしてくるから不思議です。

 

 作者は、何か新しいものに挑戦し、創意工夫をこらして表現する・・・、そのあたりに華道の面白さがあるのかな・・・などと、自分勝手に解釈しています。

 

 いずれにせよ、毎週、月曜日が楽しくなった・・・というのが実感です。

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 SEALDsという元気のいい若者の政治集団が、自然発生的に生まれ、がんばっています。

 

 インターネットという時代の最先端をゆく「近代兵器」を最大限に活用した、政治に目覚めた若者達の行動部隊といえるのでしょうか。

 

 昨年12月6日に行われた「戦争法廃止」銀座デモについての新聞報道で、「法案は止まらなかったけど、社会は変わっている。大きな希望がある」「未来の社会の腐葉土になれれば、それでいい・・・」とSEALDsのメンバーの一人が訴えていたことを知りました。

 

 「未来の社会の腐葉土・・・」という言葉が胸の奥まで届いたのは自分だけではないようです。

 

 ネットで調べてみると、筑波大の諏訪原健さん(23)という院生の発言で、大きな反響を呼び、ネット上でも多くの人々が心を動かされ、発信していることが分かりました。

 

 SEALDsのメンバーは、胆のすわった若者達であるに違いないとは思っていましたが、「未来の社会の腐葉土・・・」という発言を知って、もしかしたら、宗教者・伝道者・殉教者のレベルに達しているのではないかとも思えました。

 

「殉教者・・・」という言葉が思い浮かんだのには理由があります。

 

 キリストの言葉として、「一粒の麦は、そのままでは一粒だが、地中で消滅し芽を出せば、やがて多くの実がなる・・・」という、死を前にした言葉が、ヨハネの福音書に記されています。

 

 宗教とは、ほとんど無縁で生きてきた自分ですら、「一粒の麦・・・」という言葉とその意味も理解(?)しているほどですから、世の中の真理・道理の一端を示したものなのでしょう。

 

 「一粒の麦・・・」と「次の世代の腐葉土・・・」という言葉には覚悟を決めた人間のみ

が発信できるという意味での共通性=普遍性があることに気づきました。

 

 だからこそ、私の様な俗人の心にも届く、何か崇高なメッセージとして伝わったに違いありません。

 

 SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)というは、この7月の参議院選挙をもって、団体としては解散すると予告しています。

 

 もともと、学生による緊急アクションとして組織された集団なので、一定の時期に活動に区切りをつけ、潔くピリオドを打つ行為は、日本人の心に大きく響くものがあります。

 

 SEALDsの主導で進められた、一人区における野党間の統一候補選定は、予想を超えた力を発揮するのではないでしょうか。

 

 奇しくも、今日、6月15日は、56年前に「国会突入デモ」の渦中で命を落とした樺美智子さんの命日にあたります。

 

 天国の樺さんは、今日の原発反対運動・安保法制反対運動・参院選での野党共闘の盛り上がりを見て「人知れず微笑ん」でいるのではないでしょうか。

 

 同時に、舛添都知事の往生際の悪さに侮蔑の嘲笑を浮かべている姿が目に浮かびます。(合掌)

 

『人しれず微笑まん』

 

誰かが私を笑っている

向うでも こっちでも

私をあざ笑っている

でもかまわないさ

私は自分の道を行く

 

笑っている連中もやはり

それぞれの道を行くだろう

よく云うじゃないか

「最後に笑うものが

最もよく笑うものだ」と

 

でも私は

いつまでも笑わないだろう

いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

 

ただ許されるものなら

最後に

人知れずほゝえみたいものだ

 

(樺美智子遺稿集より)

 原発事故から、今日で5年2ヶ月になります。10万人に近い被災者の方々が、いまだに避難生活を余儀なくされています。

 

 多くの人々は、いつになったら帰還できるか、生活を再建できるのか、確かな見通しも立たないまま、将来についての不安を胸の奥に仕舞い込んで、耐えています。

 

 福島県内を主として、40年近く仕事をしてきた1人の不動産鑑定士として、被災者・被害者の心や立場に少しでも近づけるように心がけて仕事をしてきたつもりです。

 

 加害者である東京電力は、「財物賠償基準」を決め、その基準が正しいという前提で、不動産の賠償金の支払いを行ってきました。

 

たしかに、誰も想定していなかった(原発の危険性について警鐘乱打していた人もいたのですが・・・)、特に東京電力の関係者は夢想だにしていなかったでしょうから、原発事故の賠償にどう対応するかということについては、全く「想定外」だっただろうという事情は理解できなくはありません。

 

しかし、現実に原発事故は発生し、人や物、地域に対して重大な損害を与えたのですから、東京電力は本気で反省し、胆をすえて対応すべきですが、どうも「反省」が足りないようです。

 

「財物賠償基準」も加害者側の事情や都合が優先され、被害者・被災者の立場や心は、後回しにされていると強く感じています。

 

原発事故発生後、多くの被災者の方々から、主として不動産の評価に関連する相談を受けてきました。

 

相談を受け、現地調査をして、 鑑定評価書をまとめるなかで、東京電力の「財物賠償基準」に多くの問題点や矛盾点が存在することが分かりました。

 

その具体的な問題点は(http://www3.plala.or.jp/kantei/seminasodan.pdf) をご覧いただくとして、新聞やテレビ等のマスメディアは問題が多くあることは知っていながら(?)報道しようとしません。

 

マスメディアだけでなく、行政当局も、東電の賠償基準に問題点が多いことに関わりたくないという姿勢が強いと感じています。

 

少なからぬ被災者の方々は、納得できないけれど、他にどうすれば良いか分からないので、東電の「賠償基準」で賠償金の支払いを受けています。

 

一度合意して支払いを受けたとしても、やはり納得できない被災者は、ADRに申し立てをして、適正な評価に基づく、正当な賠償を受け取る権利は残されており、そのためにADRが存在するのだということを、なぜか、メディアや行政当局は積極的に被災者に伝えようとしていません。

 

福島県庁内の「県政記者会」と「社会記者会」各16社に「不動産評価に関する賠償基準の問題点」をまとめた文書(プレスリリース)を配布し、各地に避難している被災者の方々に伝わるよう協力を依頼しましたが、全く採り上げてくれません。

 

地元誌である「政経東北」の5月号がようやく『不動産鑑定士が指摘する「財物賠償の問題点」―――合意済みでもADRで“適正評価”は可能―――』として2ページにわたる記事として報道していただきました。

 

ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)は、被災者がどうしても納得できないことを、公正に解決することを目的にして設立された国の機関です。

 

今こそ、ADRの出番であり、もっともっと活用されることが期待されているわけです。

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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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