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不動産鑑定士という仕事は、個人や会社の所有する土地や建物を客観的な目で、つまり第三者の立場で鑑定(目きき)評価(値ぶみ)するものだといわれています。
私がこの業界に入りたてのころ、(財)日本不動産研究所仙台支所で修業していた頃のことです。日頃は、当然のこととして第三者の立場で仕事をしていましたので特に何も感じなかったのですが、中学以来の親友であるS君の母親が所有する仙台市郊外の土地を買い取って欲しいと頼まれた時は、第三者の立場、客観的な目で物を見るということの難しさをつくづく思い知らされました。
兄弟以上に近い存在であったS君の母親が、将来を夢見て購入した60坪程の土地。しかも、河川改修工事のために約30坪が買収され残り30坪の小画地になった上に、市街化調整区域(原則として建築不可)となってしまった土地でした。近くを名取川が流れ自然環境は良いのですが交通の便が悪く、近くには農家住宅が点在する辺鄙なところでした。唯一の長所・利点は、仙台市が計画していた地下鉄「南北線」終点の「予定駅」に近いことです。友人の立場に立てば、なるべく高い値段を付けてやりたい。しかし、借金の工面をして買う自分の立場からすれば、将来性も十分に見込んだ上での適正な価格で買うしかない。こんな相反する思いで悩んだことがなつかしさと共に思い出されます。
幸い、職場の同僚は皆鑑定のプロであったので、折りを見て意見を聞きました。建築不可の市街化調整区域、しかも30坪という狭小地。地下鉄の予定駅に近いといっても電車が動くまでは早くて10年、その後区画整理事業が立案・事業決定・造成に10年以上を要するとみれば、値段の付けようがないというのが大方の意見でした。結局、プロ集団の意見はあまり役に立たず、その土地の固定資産税評価額の2倍の値段(150万円)で買うことに決めました。幸い10年後に地下鉄は開通し、その15年後には区画整理事業も完成して、減歩(区画整理事業で道路・公園等にするための地積減少)の結果、約25坪の立派な(?)宅地に生まれ変わりました。
土地購入から25年を経てようやく役に立つ「物件」に変身したわけです。その後、わけあってその土地は手放し、福島市内の身近なところに中古のアパート(2K×6)を買い、収益物件の管理の難しさや収支の実態を実地で勉強しています。
これらの一連の取引について当事者として関わった経験は、不動産鑑定士としても、売買仲介部門の立ち上げの際にも大いに役に立つ知識やノウハウを教えてくれるものでした。その一つは、取引の当事者はどうしても心の冷静さを失いがちで、物事、いや「物件」を客観的に見ることができなくなるということです。
日頃から、不動産を第三者の立場で客観的に見ることに慣れているはずの私ですら判断に迷うわけですから、一生に一度の大きな買い物あるいは「売り物」をする立場に立たされた普通の人が大いに悩み、迷うのはある意味では当然のことでしょう。このへんのところに不動産鑑定業と不動産仲介業を兼務しているわが社の存在意義があるのかなぁ・・・などと勝手に解釈しています。
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HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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