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 昨秋の新聞に超特急「つばめ」の記事が載っていました。
1930年(昭和5年)10月、蒸気機関車に引かれて、東京-神戸間を当時としては最速の9時間で結んで、「超特急」と呼ばれた……との記事です。
 
 この記事を読んで、3才の頃、東海道線「二宮駅」の近くでこの「つばめ」を見たことを憶い出しました。
 
 私の父は、その頃国鉄に勤めていました。関西方面に出張する用事があったのでしょうか。「つばめ」の最後尾の展望車に乗って行くことが、前の晩の食卓で話題になったのでしょう。
 
学齢期前だったので、母親に連れられて、弟と3人で「見送り」に行きました。
 
最後尾の展望席に立って手を振っていた父の姿をはっきりと記憶しています。
 
二等車(今で言うグリーン車)の展望席に乗れるということを、誇らしげに語っていたようでした。
 
しばらくの間、「つばめ」の名は列車ダイヤから消えていましたが、民営化後の92年にJR九州で復活、04年からは九州新幹線を走っているとのことです。
 
九州新幹線が全線開通し、東京乗り入れが実現した暁には、ぜひ乗ってみたいと思っています。しかも、グリーン車で「西郷どん」の待つ(?)鹿児島に「乗り込み」たいものです。
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一年程前に、北海道の苫小牧市に住む長男から黒い肩掛けカバンが送られてきました。馬革のしっかりした作りです。
 
子供から贈り物が届くなどということは、めったにないことなので、大変嬉しかったのですが、どんな時に使うのかピンとこないまましばらく事務所に置いておきました。
 
半年程前から、知人に勧められて、マウンテンバイクに乗り始めました。休日で天気の良い日に、会社まで片道8キロの道を走ります。気分転換と健康維持に効果があるようです。
 
このマウンテンバイクに乗る時に肩掛けカバンが役に立つことが分かりました。北海道日高地方の伝統のある馬具製造業者が作ったカバンだけあって、使うほど、その良さが分かってきました。
 
カバンには忘れられない憶い出が二つほどあります。
 
一つは小学校入学時に父から届いたカバンです。陸軍軍属としてジャワ島スマラン市の鉄道部隊にいた父から「陸軍将校カバン」が送られてきました。
 
インターネットで調べたところ、「将校カバン」は小学生用のランドセルの原型だったようで、少し手を加えただけで立派な学童用ランドセルになりました。
 
昭和20年4月、敗戦直前の入学ですから、海上輸送事情の悪いなか、よく無事に日本まで届いたものだと思います。
 
物不足が極限に達していた時代にあって、子供の小学校入学前に、何としてもこのカバンを届けたいという親の思いが天に通じたのでしょうか。
 
小学校時代のクラス会に出ると、立派なランドセルを背負っていたな……などと今でも言われます。
 
二つ目の憶い出は、中学・高校時代の親友、三階徹君(http://www10.plala.or.jp/tika-infre/tuitou2.htm)から高校入学時に贈られたカバンです。
 
父親の祖国、韓国が「朝鮮動乱」で混乱するなか、母親の祖国、日本に帰国した三階君一家は、母親の故郷相馬に戻りました。
 
一家が帰国するに際し、医師だった父方の伯父から三階君に「はなむけ」として牛革のドクターバッグ(往診カバン)が贈られたようです。
 
日本でも、地方の開業医が往診の時に自転車の車体に二つ折りにして下げる立派なカバンでした。
 
経済的には、決して裕福とはいえなかった三階徹君が、「使ってくれ」と我が家に届けてくれました。「日本で勉学にはげめよ」という思いのこもったカバンを、私に使ってくれという三階君の気持ちをくんで、喜んで使わせてもらいました。
 
大学に進学した後も使っていたように記憶します。「勉強に励めよ!」という思いのこもったカバンを使ってはいましたが、その頃の自分は、あまり勉学には縁のない生活をしていました。
 
三階君は経済的には苦労しながら、大学院のドクターコースを修了し、中部地方のある大学で教授をしていましたが、5年ほど前に亡くなりました。
 
考えてみれば、その時代としては分不相応な立派な二つのカバンを使っていたことになります。
 
この二つのカバンを通して、少なからぬことを学びました。
 
一つは、本当に良いものは、使いこなし、使い続けることで、その本当の良さが分かるものだということです。
 
二つ目は、人にものを贈るという行為は、ものに託して、心の思いを送り届けることではないかということです。
 
私は、人に物を贈るという機会はめったにありませんが、贈るときは「心のこもったもの」をと心がけ、実行しているつもりです。
 
不動産仲介業をしていると色々な相談を受けることが多々あります。
 
時間をかけ、恵まれた自然環境の土地を求め、その地に、手間ヒマかけて建てた家、思いのこもった建物を、事情があって手放すような相談を受けるようなことも少なくありません。
 
既存住宅、中古住宅の中には、建て主・売り主のそんな思いのこもった秀れもの、良質な住宅も少なからずあります。
 
その思いと、建物と立地や環境の良さを分かってもらえる買主を探すこと。そんなお手伝いをすることも仲介業の仕事の一つだと自分に言い聞かせながら仕事をしています。
3年前まで、NHK福島放送局は、当社の隣にありました。当社の入っているビルが「福島法曹ビル」ですから、名前が似ていたためお互い「迷惑」したこともたびたびありました。
 
電話で場所やビルの名前を説明する時に、フクシマホウソウ「局」とフクシマホウソウ「ビル」の違いをまず説明しないと、聞く側は思い違いをするケースがよくありました。
 
NHK福島放送局は視聴者サービスの一環として、毎年7月の中旬に「会館公開日」と銘打ったイベントを行っていました。
 
5年ほど前に、イベントの際、放送局の内部を見学する機会がありました。三次元映像(立体映像放送)の実演やテレビ放送の未来像を見た後に、ふだんは立入禁止の「技術室」も見せてもらいました。
 
最先端技術の粋を集めた機器類がズラリと並ぶ部屋のなかになぜか「神棚」がデーンと鎮座していました。
 
近くにいたベテランの技術マンらしい人に聞いてみました。
「最先端の技術と神棚のとり合わせは、何か理由があるのですか?」と。
 
 その技術屋さんは真面目に説明してくれました。
 
 放送技術は、今やコンピューター技術の固まりです。何十台というコンピューターを同時に起動させて秒単位以下の正確さが求められる世界なのです。
 
 ところがなぜか、コンピューターのご機嫌の悪い日や時があるのです。そんな時、技術者達はすべての知識・経験、スタッフを総動員して回復につとめますが、すぐに復旧するとは限りません。
 
そこで「神様」の出番となるとのことでした。もちろん、トラブルが発生してから「神棚」に向かって手を合わせてお願いしたのでは文字通り「手遅れ」です。
 
コンピューターに宿る「神様」にお願いするのは、「どうか今日一日、できれば末永く、「原因不明」の不具合を起こさないで下さい」ということのようです。
 
神様の効用は事前にお願いしたり、誓ったりするところにあるのではないかと、この文を書きながらフト思いました。神に祈る、神に誓うという行為は、よーく考えてみると、自分に言い聞かせる行為・儀式なのではないでしょうか。
 
 神様にお願いしたり、誓ったりするという儀式を通して、仲間や自分の心を引き締め、心構えを再確認すると解釈すれば、NHKの技術室に神棚がある理由もよく分かります。
 
 私もパソコンを利用しています。30年近くパソコンに触れていますが、全く上達しません。インターネットで調べものをする時に、その性能・能力にいつも感心・感謝しながら活用されてもらっているといったレベルです。
 
 ところが、パソコンの方は(神様のいたずらか?)私が、ヨチヨチ歩きの初心者であることを見抜いて、持主を馬鹿にしているようです。
 
 プリンターの用紙はよく目づまりしますし、突然画面が「凍結(フリーズ)」して動かなくなったりします。
 
 対応策は二つあります。
 
 一つはコンピューター操作のイロハを学んで初歩的トラブルに自分で対応できるようにすることです。
 二つ目は、室内に神棚を設け、毎朝、手を合わせることでしょうか。
 
 さて、どちらの道を選ぶか、大いに迷います。
 
 追伸
 NHK福島放送局に問い合わせたところ、福島駅の東口近くに移転した後は技術室に神棚は置かなくなったそうです。
 
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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