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今まで、不動産事業部の応接カウンターは、大型の楕円型テーブルで間に合わせてきました。
 
5~6人はゆったりと座れて、自分では気に入っていたのですが、2組のお客さまに同時に応接できないのが難点でした。
 
親しくなったお客さまや、親身になって考えてくれる同業者からは、「何とかした方がいいのでは……」とアドバイスをいただいていました。
 
あれこれと、内部検討を重ねた結果、ご覧のような出来ばえになりました。
 

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手前ミソですが、少し明るくなった感じがします。
 
2組のお客さまが同時に来店されても、何とか応接できそうです。
 
ついでの折りに、お立ち寄りいただき、リニューアルの感想などお聞かせ下さい。


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丁度、20年前の8月に、10日間ほどスペイン各地を訪ねるツアーに参加しました。
 
イラクががクエートに侵攻し、ドル安・円高が進んで海外旅行者は何か得をした気分だったことを記憶しています。
 
円・ドルレートの推移表を見ると1990年の夏は1$/160円の水準だったことが分かります。
 
最近の円レートが80円台前半まで上昇して大騒ぎをしているわけですが、20年かけて2倍になったと考えれば、対応策をとる時間的余裕は十分にあったはずと考えるのは、「後講釈」「後知恵」ということでしょうか。
 
ヨーロッパの「田舎」といわれるスペイン各地の旅は、田舎者の自分にとっては、風景も人情も親しみを感ずるものでした。
 
ただ一つ、「闘牛」だけは強い違和感というか、嫌悪感をおぼえました。
 
一頭の黒牛を闘牛場という広場に引き出し、闘牛士を含む4~5人の「勇者」が手に手にヤリを持って牛を追い回し、牛が怒って本気で向かってくると「勇者」達は安全地帯に逃げ込むという仕掛けです。
 
牛の側はただ一頭、味方はいません。 闘牛士の側は手下の「勇者」も含めて4~5人の集団、観客も大部分は闘牛士に声援を送っていました。
 
近くの席にいたジプシーの女性(60過ぎのオバアサンと思われた)などは、熱狂的な声援を送っていました。
 
スペインでは、黒牛は「悪魔の使い」とでも見られているのでしょうか。 大の男が数人がかりで牛を追いかけ回し、ヤリを体中に打ち込み、最後は闘牛士が長剣でトドメを刺すという約30分の残酷ショー、「いじめショー」でした。
 
人間には、本来「イジメ本能」とも言えるようなDNAがあるのでしょうか?
なさけないことです。
闘牛を観ていて、違和感・嫌悪感を超えた、強い反感・正義感のようなものが沸き上がってきたのをはっきりと記憶しています。
 
 
アンフェア(un・Fair)!
ノットヒーロー(Not Hero)!
と大声で叫びたい気持ちでしたが、声が出ませんでした。
 
ここは外国だという気おくれと、英語に自信がなかったからでしょう。大声を出すことには、今でも自信があるのですが、残念です。
 
スペインの闘牛をめぐっては「動物の残酷な取扱い」にあたるとして世界的に批判が高まっています。
 
この国際的な批判にこたえてスペイン第2の都市であるバルセロナ市を含むカタールーニャ州会議が「闘牛禁止」を決議したと新聞は報じています。
 
20年前にバルセロナの闘牛場で自分が感じたことは、間違ってなかったことが分かり、少しホットしています。
 
卑劣だゾー!(un・Fair!)
勇者の振る舞いではないゾー!(Not Hero!)
と叫べませんでしたが、不快感を示す行動として、残りの闘牛ショーを観ないで途中退席しました。
 
わが国で今問題になっている「イジメ」は、実は根の深い問題ではないかと考えています。
 
大げさに言えば、人類には弱い者イジメのDNAが組み込まれているのではないかとも思われます。
 
だとするならば、幼い時から、家庭でも、学校でも、職場でも、弱い者イジメは決して行ってはならない行為・行動だと繰り返し教育する必要があるのではないでしょうか。
 
不動産仲介の現場も、ある意味では、弱者と強者に分かれる世界です。
 
情報量・経験・知識という点で、買い主・借り主は、一般的には弱者です。
 
弱者をダマスようなビジネスモデルには決然と手を切り、お客さまをサポートする立場に徹することこそが「勇者の道」であり、最後はこの業界の勝者になれると信じています。


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今日(7月23日)から地域の最大イベント「相馬野馬追」が始まりました。

 

高校を卒業するまで、相馬市の中心商店街の一隅に住んでいた自分にとっては、多くのことを想い出させてくれるお祭りです。

 

騎馬武者の「お行列」が通る街に住むことが、ステータスシンボルだったような気がします。

 

旧城下町の二本松市民にとって、「提灯祭り」の山車の出る町内に住むことが「誇り」であるのと共通する意識なのかもしれません。

 

昭和17年から32年の春まで、15年程を相馬市で過ごし、武者行列の変遷を見ていました。

 

大戦末期から敗戦後しばらくのあいだは、宇多郷勢(相馬市周辺からの出陣武者)は百騎を下回る数だったという記憶があります。

 

母が、家の前を通過する騎馬武者の数をかぞえて、今年も百騎出なかったと、嘆いていたのを憶えているからです。

 

「工業出荷額」や「商業売上統計」を見るまでもなく、家の前を通過する騎馬武者の数が、相馬地方の経済力のバロメーターであったわけです。

 

今でも、野馬追に騎馬武者として参加するには少なからぬ費用がかかります。

 

参加料、乗馬の借り上げ料、鎧、兜の補修費、一族郎等あげての出陣式と出陣前夜祭の費用を加えると100万円を上回る持ち出しです。

 

それを覚悟の上で、旧中村藩の男達は野馬追に出たがるようです。

 

名もない、地位もない、少々の金はある男達にとって、胸を張って騎上から見物客を見おろし、街なかを行進するのは「特別な時間」なのでしょう。

 

野馬追い祭りといえば、南相馬市(旧原町市)で行われる「神旗争奪戦」が、全国的に有名です。

 

しかし、私は「神旗争奪戦」の現地・現物を見たことがありません。

 

その理由の一つは、母からお野馬追い(相馬では「お」を付けて言うのが普通です)が近づくと、決まって一つの話を聞かされていたからです。

 

私の父が幼少の頃、祖父に連れられて、兄弟で旧原町市まで「神旗争奪戦」を見物にいった時のことです。突然暴れ馬が近づいてきて、親子3人を襲ったそうです。

 

祖父は、子供2人を庇うため、子供の上に覆い被さり子供達を護ったという話を毎年のように聞かされました。

 

そんなことと、例年30度を超える暑さの時期という事情もあって、南相馬市の「雲雀ヶ原」で催される「神旗争奪戦」は一度も観たことがなかったわけです。

 

20年ぐらい前だったでしょうか。当時の原町市長は門馬直孝氏でした。

 

ご縁があって、公私ともに親しくさせていただいておりました。

 

「旗とり」(地元では「神旗争奪戦」をそう呼びます)を一度も観たことがないという話をしたら、「特別観覧席」の招待状が2枚届きました。

 

しかし、やはり観戦には行きませんでした。

 

日程的に無理があったことに加えて、40度を超える炎天下で2時間近くも過ごす自信がなかったからです。

 

野馬追い祭りの日程、開催時期については、毎年のように地元で熱い議論が交わされているようです。

 

「神事」としての日時に固執する主催者・神社側と地域活性化のイベントとしての側面を強調する執行委員会の考えが対立し、神社側の主張どおりの日程で決まっています。

 

灼熱の時期を避けて、ゴールデンウィークあるいはシルバーウィークあたりに開催できれば、数倍の集客効果と経済波及効果が見込まれるのではないでしょうか。

 

相馬妙見神社に祭られている神々も地域経済の活性化のために、一肌脱いでも良い時期ではないでしょうか。

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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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