忍者ブログ
[282]  [281]  [280]  [279]  [278]  [277]  [276]  [275]  [274]  [273]  [272
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

このごろ、時代劇のテレビドラマをよく観ます。

 

お気に入りは「鬼平犯科帳」シリーズで、PM7:00のNHKニュースを外して、BSフジの犯科帳にチャンネルを合わせるのですから、そうとうの入れ込みようです。

 

悪知恵に長けた盗人集団が、狙いをつけた商家に手の者を住み込ませ、金蔵のありかや屋敷内の見取り図を作らせて、準備万端ととのえてから盗みに入るという単純な筋書きですが、悪知恵や悪の手口が勉強になるのではということを口実にして、家人に「半可くさい」と馬鹿にされながら、週に2~3度は観ています。

 

押し込みが成功して、千両箱を次々と運び出す場面が毎回のように出てきます。

 

丁度、大工職人の道具入れぐらいの大きさで、頑丈なつくりのようです。

 

そんなシーンを見ていると、昔、我が家にあった五百両箱を思い出します。

 

我が家は、相馬市の旧「鉄砲張り町」(現在の宇多川町)という場所にあったのですが、なぜか、丈夫な木製の五百両箱がありました、

 

もちろん、中味は空っぽで、子供のおもちゃ箱代わりに使われていました。

 

五百両は現在価値にするといくらぐらいになるのか、インターネットで調べてみました。

 

直接、比較できる統計数字はないわけですが、米価や大工の賃金等で推定すると、約20万倍、つまり江戸中期の五百両箱は、現在価値で約1億円ということです。

 

母親から聞かされていたことでは、我が家のご先祖様は、相馬藩の鉄砲鍛冶だったそうで、名字帯刀を許された「名家」だったということです。

 

そういえば、刀もあったと記憶しています。敗戦後、マッカーサー占領軍の命令で、刀は召し上げられたようです。

 

旧鉄砲張町(鉄砲を作る作業を鉄砲を張ると表現したようです)一帯が、ご先祖様の屋敷兼作業場だったと聞いていました。

 

だとすると、かなりの資産家だったのかもしれませんが、祖父の時代は町中の普通の商家でした。

 

せめてご先祖様の形見の五百両箱を大切にしておけば・・・と、今にして思いますが、中味が空っぽの箱などいつのまにか所在不明となってしまいました。

PR
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
自己紹介:

アクセス解析
忍者ブログ [PR]