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丁度49年前の今日、1959年11月27日、日米安保改訂阻止のデモ隊は国会議事堂前の広場を埋めつくしていました。その数およそ2万人。都内各大学から参加した学生は1万人ぐらいだったでしょうか。血気盛んだった自分も全学連のデモ隊の中にいました。
 
前夜、早稲田大学全学共闘会議の拡大会議が「極秘」に開かれ、国会包囲デモの作戦・戦術が決められました。早稲田大学からは1,000人程度の学生を動員し、地下鉄「国会議事堂」駅から、警備する警官隊の背後をつく「奇襲作戦」で警備陣を撹乱する。相手側の混乱に乗じて、国会正面広場まで進み、「日米安保改訂阻止」の大集会を「成功」させるといった「極秘作戦」だったと記憶しています。
 
開通して間もない地下鉄の駅から1,000名を超える学生デモ隊が突然警備陣の背後に現れるという「奇襲作戦」は図に当たり、警備陣は「混乱」したかに見えました。しかし、相手側はさすがはプロ集団、ただちに隊形を整えると国会正門前に通じる道路に阻止線を張りました。
 
しかし何か様子が変でした。普段なら、ヘルメットに盾、乱闘服で完全武装している機動隊が前面に出てくるはずなのに、その日は制服、制帽の「お巡りさん」が隊列を組んでいたのです。しかも何となく田舎くさいし、年齢も父親に近い感じで、デモ隊側もホットしたというか、親近感を覚えるような警官隊でした。
それもつかの間、国会前広場目ざして強行突破しようとする学生デモ隊と警備陣は、押し合い、もみ合いの小競り合いを繰りひろげました。
 
そんな時です。自分の靴が何か変なものを踏みつけたことを感じとりました。学友とのスクラムを解き、足もとの異物を拾いました。何と本物の拳銃が落ちていたのです。一瞬、これは「ワナ」「謀略」ではないかとの思いが頭をよぎりました。しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに大声で目の前の警官隊に呼びかけました。
 
「オーイ、大切な商売道具を落としたのは誰だー!」
「拳銃を失くしたらクビになるゾー!」
 
ムキ出しの拳銃を高くかかげながらの呼びかけに目の前の警官隊は、皆が自分の腰に手を当てて「確認行動」をとったようです。落とし主はすぐに現れました。すぐ近くにいた50代の田舎のオジサン風の警察官が、「自分が落としたらしい」、「ありがとう」と小さな声で言って手を出してきました。学生と警官隊の間に、ほんの一瞬でしたが、和やかな雰囲気が流れました。
小競り合いも小休止となり、警備陣とも私的な会話が交わされました。埼玉県警から急遽派遣された混成部隊で、普段は交番勤務の普通の「お巡りさん」が大部分とのことでした。
 
その後学生を中心としたデモ隊は国会議事堂の中庭に「乱入」し、翌日の新聞では散々たたかれました。この「国会構内乱入事件」も何か謀略のニオイがする事件でした。
 
50年も前のことを書く気になったのは、若気のいたりという側面はあったにしても、時代が問いかけている問題に真正面から向き合い、決して逃げなかったというその姿勢だけは、今でも間違っていたとは思いませんし、むしろ誇りに思っているからです。
この歳になって、自分が体験したことも含めて本当の思いを、本音で語り、書き残しておくのも良いのではないかという心境になりました。
 

「本音言三」これからも発信を続けます。自分の学生時代のことは「悪行」も含めて個人のホームページ(http://www10.plala.or.jp/tika-infre/toukanannai.html)で公開しています。ご笑覧下さい。

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高橋雄三
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