忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

リスクへの対応が大きな問題としてクローズアップされています。
 
大震災と巨大津波、加えて福島第1原発のメルトダウンと想定外の巨大リスクが現実化・表面化しました。
 
私は、30年ぐらい前からでしょうか、リスクへの対応について一つの「原則」を守ってきました。
 
それは、「意味の無い危険・リスクに身をさらさない」という単純明快なものです。
 
「歩道の無い道路は歩かない」「自転車で車道は走らない」「酒癖の悪い人とは酒食を共にしない」「雑魚とは争わない」といった程度の簡単な「行動原則」です。
 
20年程前のことです。初雪の降った朝、自宅近くに住む従業員の車に便乗して会社に向かいました。
 
うっすらと雪の積もった飯坂街道は通学する高校生の自転車が連なっていました。
 
初雪とあって、冬タイヤに替えていない車も多く、自転車も車も、お互いに用心深く、ノロノロ運転をしていました。
 
車中の会話で「こんな朝に、自転車で登校を認める親の気が知れない。自転車に乗る高校生自身も“意味のない危険”に身をさらして、幼稚に過ぎる……」といった話をしていました。
 
「並行して走る自転車は、突然転倒するとの前提で運転しなければ……」などと話している最中に、目の前の女子高生の自転車が転倒しました。
 
幸い、こちらの車冬タイヤに替えていたことと、心の準備ができていたので、何事も起きず、女子高生はすぐに起きあがりました。
 
会社に着くまでの20分程度のあいだ、「意味のない危険・リスクに身をさらさない」ことについての会話が続きました。
 
目の前で起きた大きな危険を回避できた安堵感からでしょうか。運転ていた女子社員は、次々と私に質問を投げかけてきました。
 
それでは、「意味のある危険、リスクを取ってでもやらなければならないことは、何なんですか?」という突っ込みです。
 
それまで、何人もの人と同じような話をしましたが、「意味のある危険、リスクを取ってもやるべきことは何か?」と正面から問われたのは初めてでした。
 
一瞬、ウーンと唸ってから答えました。「体を張って、生命をかけてでもやることは何か」その答えは、その人の人生観、使命感によって違ってくるのではないか……。私の信条としては、人の命を天下の大勢に関わることは……、どんなにリスクが大きくとも、体を張ってでも……、逃げることはしない……。といったものでした。
 
今、福島第1原発の現場で働いている関係者は、文字通りの命懸けの作業をしているわけです。その人たちの心と体を支えているのは、自分達がやらければ……、という使命感と誇りではないでしょうか。
 
使命感と誇りを持って仕事に取りくむことの大切さを、今回の大震災は教えているように思えてなりません。
PR
 「骨を拾う」という心にズッシリと響く重い言葉があります。「遺骨を拾い収める」という意から転じて、「お前のことを最後まで見届けるよ、思い切り、命を懸けてやってみなさい」という意味で使われる言葉です。
 
 私が大学を卒業して就職した時にトップから言われた言葉であり、今でも、鮮明に記憶しています。
 
 戦前に三菱商事ジャカルタ支店長を務めた鈴木一雄氏の言葉です。「日中貿易促進会」同期入所の3人を前にして、「お前達の骨は拾ってやる。胆を括って仕事をなし遂げろ!」と激励してくれたわけです。
 
 国交が断絶した状況下での民間貿易の窓口業務を担当するわけですから、そのぐらいの覚悟と使命感が求められていたということです。
 
 この職場には3年ほどの在籍でしたが、得たものは大きく、貴重な体験でした。幸い、骨を拾ってもらうことはありませんでしたが、私の社会人としての原点となる多くのことを学びました。
 
 最近の新聞報道で、遺骨を引き取らない、あるいは、引き取り手のいない「お骨」が少なくないとの記事を目にしました。
 
 世相を反映した現象なのでしょうが、何か「むなしさ」を感じます。こんな時こそ、宗教関係者の出番なのではないでしょうか。「葬式仏教」に堕落しているなどの批判に対して、行動で「志の高さ」を示すことが求められているのではないでしょうか。
 
 友人、親戚、親兄弟、少なくない故人の骨を拾ってきました。「棺(ひつぎ)を覆いて、その人の評価定まる」といわれますが、私などは、棺に入る前から、並み以下レベルではないかと自己評価しています。
 
 志の高さにおいては人後に落ちないつもりですが、行動や能力では評価は大いに分かれるところだと思うからです。
 
 せめて、残された人生を、世のため、人のためにつくすことで、人並みの評点をいただけるよう努力するつもりです。


******** ご連絡はこちらまで。********* 
「ウソをつくのは人間だけだ」といった話を何かの本で読んだことがあります。
 
厳密に言えば、動物も「死んだふり」をしたりするわけですから、言葉でウソをつくのは人間だけだということでしょうか。
 
大きく分けて、ウソには2種類あります。自分に対するウソと他人に対するウソです。
 
本当(本音)の自分に対して、偽らずに生きるという生き方、自分に対してウソ偽りのない生涯を送るという意味でのウソのない生き方です。
 
他人に対するウソは、いたるところに見られます。外交官という職業は、自国の利益のためにいかに上手にウソをつき通すかが「仕事」なのだそうです。
 
誰に対して、いつ、どんなウソを言ったかをしっかりと覚えていないと、すぐにボロを出し、ウソがバレてしまってプロ失格です。
 
政治家にしろ、外交官にしろ、高度な記憶力とタフな神経の持ち主でないと務まらない職業だということがよくわかります。 
 
広い意味での「外交官」と言えるのかもしれませんが、873203c8.jpg
この6月に摘発されたロシアの美人スパイ、
アンナ・チャップマン容疑者(28)は
ブログにこんなことを綴っていたそうです。
 
 「あなたが本当のことを話すなら、
それを覚えていなくともいいのよ」
 
これは、裏をかえせば、ウソをつく時は、そのことをちゃんと覚えていなければ失格ですよという意味なのでしょう。
 
この美人スパイは自分を偽り、他人も偽る人生を送っていたわけでしょうから、どこかで、本当のことを言いたかったのではないでしょうか。
 
本当のことを話すメリットについて「本音」が聞けたと感じるのは私だけでしょうか。
 
仕事がら、多くの人に会います。置かれた立場も違えば、利害も対立する人に会うことも少なくありません。
 
仲間、友人としてつき合っている人も、時と場合によっては、結果としてウソをつくこともあるようです。
 
ダマされたふりをするのも一つの対応策です。それとなく、ウソだということは分かっていますよという対応をすることもあります。
 
ウソをつく人にも2つのタイプがあるようです。積極的に作り話・ウソをつく人と、努力目標・願望を熱く語り、「奮闘努力」のかいも無く、結果としてウソを語ってしまったというタイプの人です。
 
政党や政治家には、後者のタイプが多いようです。政治の世界で生きる人のためにひとこと弁明すれば、先行きの見えない財政・経済にあって、明るい見通しを語らなければならない彼らは、心の中では大いに苦しんでいるのではないでしょうか。
 
口が裂けても、「日本はとんでもない状況に置かれているのです」これからの10年は国民の皆さんには「覚悟をしてもらねばなりません」などとは言えないわけです。
 
しかし、時代は待ってくれないでしょう。政党や政治家が日本の置かれている現状・現実を素直に語り、1回や2回の選挙で「大敗」することも覚悟の上で「正論」を語ることを「時代」は求めているのではないでしょうか。
 
「時代が人物を生み出す」という「歴史の力」を信じて、われわれ一般人は、日常の仕事を誠実に遂行する、ということにつきます。
 
この半年ほどの間に、積極的に「作り話」をするタイプの人に何人も会いました。
 
億単位の事業用物件の話を持ち込んでくる人達です。サギ師とまでは断定できませんが、結果としてそんな表現に近い感じです。
 
確実な根拠に基づかない「大型プロジェクト」構想を作り上げ、知恵や力を貸して欲しいといった案件です。
 
不動産に関わる仕事をしている者の責任・使命として、求められれば、あらゆる人に会うようにしています。
 
ただし、2回せめて3回までです。相手に十分に話をさせ、自分はストーリーを楽しみます。
 
相手は、うなずきながらストーリーを聞く私が話を信じこんでいると思いこむことが多いようです。
 
相手の話の矛盾点や事実無根をやんわりと、時には鋭く指摘するのは、2回目、3回目にお会いする時です。
 
近ごろは、年のせいか、最初だけお会いして、2回目、3回目は電話だけで済ませるケースが多くなりました。
 
職業としては、不動産鑑定士ですが、最大の関心事は「人物鑑定」です。
 
民主党の代表選挙、大変面白いドラマでした。2幕目を期待しましょう。
 
今日、これから、福島テレビの記者が取材に訪ねてきます。思うこと、本当のこと、本音をありのままに話すことにしています。
 
メディアの側は、そんな私を取材に値する人と見てくれているのでしょう。期待にに応えて、本音でズケズケ語ることにします。

 
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
自己紹介:

アクセス解析
忍者ブログ [PR]