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憲法第9条をめぐって、議論が盛んになっています。

 

「9条を守る会」が各分野や各地域で結成されています。第9条は国家・国民・民族の多大な犠牲の「結果」として手に入れたものであり、今の時代にあって、9条を守る運動の意義は大きいとの主旨なようです。

 

自分も、30年程前までは、日本国憲法第9条が持つ積極面を高く評価していました。

 

しかし、現実の世界をリアルに見ていると、「国家・国民が憲法第9条を守りさえすれば、憲法9条は国家・国民を守ってくれるのか?」という大きな疑問が生まれてきました。

 

率直に考えれば、すぐに解ることですが、実際に国を衛る・国民を護ることができるのは、憲法や法律の条文ではなく、実力装置・実行部隊としての軍隊や警察です。

 

国家・国民が当然の権利として有する、自然権としての「自衛権」の解釈や適用をめぐって、大いに議論がなされるのは、遅きに失した感はありますが、大変良いことではないでしょうか。

 

憲法の条文そのものが、直接的に国民を衛ってくれるものではないことは、自明の理ですが、9条の制約・歯止めがあったからこそ、自衛隊の海外での「武力行使」が不可とされたことも、また、厳然たる事実です。

 

その意味では、9条の存在そのものが、ベトナム戦争や湾岸戦争・イラク戦争・アフガン戦争に日本の自衛隊が直接参戦することを防いでくれたわけで、結果として国民が紛争・戦争に巻き込まれることから護ってくれたといえます。

 

国防論や軍事問題を考える際に大切なことは、わが国が現在置かれている「現実」を直視し、「現実」をリアルに分析・検討することが議論の出発点だということです。

 

自分は、福島県内を主なフィールドとして40年近く不動産鑑定士の仕事をしてきました。

 

自分の置かれた現在の立場・経験・専門的能力を生かして、原発被災者や被災地のために何ができるか、何をなすべきなのかを、考え、実行することが、自分に与えられた使命であると自覚し、これからの人生を生きると胆を決めています。

 

そんな思いから、2年程前から「原発賠償を考えぬく」というコラム(http://www3.plala.or.jp/kantei/baisyo23.html)を23回にわたり書き続けています。

 

途中から、本来のテーマ・被災地の不動産賠償・評価からはやや外れるのですが、原発の再稼働を何としても止めさせるためにどうすれば良いのかという問題にまで視野を広げて書き進めています。

 

前々回の本音のコラム(2014-4-17)でも取り上げたテーマ「地政学・国防論からみた原発再稼働」についてさらに掘り下げて、書いたつもりです。

 

個別的自衛権・集団的自衛権の議論の前に、狭い日本列島に、54基もの原発を立地・稼働させることの危険性について「警鐘」を鳴らすのも自分の使命ではないかと信じるからです。

 

さらにつけ加えるならば、もし、「解釈改憲」で自衛隊の「海外派兵」が可能になり、実際の戦闘に巻き込まれて多数の戦死者が出るような事態が起きれば、「自衛隊への志願者が激減してしまい、憲法を改正して、『徴兵制』をせざるを得ないことになる・・・」との元防衛庁幹部の発言の重みをかみしめているところです。

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ヘソ曲がりな性格のせいでしょうか。左翼学生運動に熱中した時代にも、軍事問題・国防問題に強い関心を持ち、その延長線上で、地政学的な視点から国際情勢を分析するという姿勢を身につけました。

 

当事務所の鑑定部のホームページで連載している「原発賠償を考えぬく」というコラムでは「地政学から原発問題を考える」(http://www3.plala.or.jp/kantei/baisyo6.html)という記事を書きました。

 

今回は、わが国の原発再稼働が地政学・国防論的にどのような問題点をかかえているかについて考えてみます。

 

前述のコラムでは、地震の巣である日本列島に原発を立地することのリスクの大きさを地政学の視点で論じました。

 

「原発再稼働」は同じ轍を踏むことになるわけですが、今回は、軍事的側面・国防という視点から考えてみます。

 

北朝鮮の金正恩指導部が数発の核爆弾と3桁の中距離ミサイルを保持していることは「周知の事実」といっていいでしょう。

 

金指導部の長期「生き残り戦略」は、大陸間弾道ミサイルの開発・実戦配備に全力を注ぎ、NYやワシントンを戦略核ミサイルの射程内に入れることにあるということも軍事・国防学の常識です。

 

彼らの当面の「生き残り戦術」は何でしょうか?

 

それは、長期の戦略的課題を達成するための時間稼ぎであり、米側からの奇襲攻撃を避けるだけの国防力・攻撃力の維持にあることも「公知の事実」でしょう。

 

今の北朝鮮指導部にとって、最大の戦術的攻撃力とは何でしょうか?

 

地上兵力と中・短距離ミサイルの物量的攻撃力以外に考えられません。

 

地上兵力(陸軍)と短距離ミサイルは対韓国戦には有効(?)でしょうが、対日・米戦には役に立ちません。

 

残された唯一の「近代兵器」中距離ミサイルをどのように外交上・軍事上活用するかが、今の彼らの最大の課題と推定できます。

 

そう考えた時、わが国の原発の再稼働は彼らの目にはどう映るのでしょうか。

 

金指導部にとって「トラの子」の核弾頭(?)は数発しかない、中距離ミサイルは数100発のオーダーで実戦配備されている。

 

このタイミングで、日本の原発を再稼働させることは、日本の原発に照準を合わせさえすれば、非核弾頭の中距離ミサイルを核弾頭ミサイル以上の「核爆発効果」が発揮できる「超近代兵器」に押し上げる「軍事上の効果」が期待できることになるわけです。

 

これを「国益・国防」に利さない行為、つまり、「利敵行為」と呼ばずして、何と称すればよいのかが言葉が見つかりません。

 

右翼も左翼も、国防族も護憲派も民族派も、今こそ、国をあげて、原発再稼働が国防上・地政学上、わが国に何をもたらすことになるのか、大いに議論すべき時だと信じて疑いません。

人間の値打ちをはかったり決めたりする「モノサシ」は、結局のところ志の高さではないでしょうか。

 

細川元首相が原発ゼロの日本を目ざして都知事選に出たことや、小泉元首相が、連日街頭で原発ゼロ社会の実現を訴え続けたことは、「志の高さ」・「覚悟の深さ」というレンズを通してみるとよく理解できます。

 

二人の元首相に共通していることは、「退き際の潔さ」という点ではないかと、今までは思っていましたが、どうも、それだけではないようです。

 

本業、メシのタネとしては、不動産鑑定評価(目きき、値ぶみ)をなりわいとしていますが、最大の関心事は人間観察、つまり、人物鑑定・人物評価です。

 

高度に発達した「社会的動物」として人間を見た場合、身体的能力よりは、心的能力、例えていえば、志や覚悟といった外見からはなかなか見えないことが大切だと体験的に学んできました。

 

人物鑑定・人物評価のポイントは、その人の言っていることではなく、その人の行動・行為をよく観察することです。

 

口で言うだけなら、大抵の人は立派なことを並びたてることはできるようです。

 

問題は、「立派なこと」を実行できるか否かです。

 

二人の元首相は、原発ゼロの日本を目ざして、都知事選という現実の場で、実際行動を開始したわけです。

 

結果としては、956063票で3位でしたが、お二人は原発ゼロを目ざす国民運動を今後も続ける覚悟のようですし、心ある国民はそれを望んでいます。

 

わが福島県では、現職の首長としては唯一、「原発ゼロ」を主張して圧勝した南相馬市の桜井市長も深い覚悟のできた人物とお見うけしました。

 

この11月には、わが県でも知事選挙が予定されています。

 

今のところ、手をあげる人は出てきませんが、水面下では様々な動きがあるようです。

 

都知事選では、原発ゼロを主張する細川・宇都宮候補の一本化工作は不発に終わりましたが、福島の知事選挙では、ぜひとも原発ゼロを目ざす統一候補を、文字通り党派を超えて実現させ、原発ゼロの日本に向かって一歩でも半歩でも進むことを切に願うものです。

 

そのためには、各党各派だけではなく、県内外の志のある「人物」も「覚悟」が求められている気がしてなりません。

 

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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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