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父が戦前の昭和16年に相馬市砂子田の300坪の土地(畑)を買った時の価格が1,000円(1反歩・300坪)でした。
鉄道省(当時)を退職し、陸軍鉄道部隊の軍属としてジャワ・スマランに赴任する時に、退職金の一部をあてて、買入したと聞いています。
戦後の食糧難の時代には、ジャガイモやカボチャを収穫し、大変役に立った記憶があります。
その後、私が高校3年の時に、市の中心部にあった住家を処分し、東京に小さな家を建て、私も含めて兄弟3人はその家から大学に通いました。
同じ頃に、砂子田の土地には、義兄が家を建て、姉夫婦と家族はその住居で約30年生活していました。
20年程前に、姉夫婦も長男の住む千葉県に移住し、夏休みや墓参りの時に帰省し、利用する程度でした。
東日本大震災の時、津波の被害はありませんでしたが、地震で建物の内部は大きく損傷し、住める状態ではなくなりました。
父の名義だった土地は姉2人と弟が相続し、3.11以降は空家として放置されていましたが、この夏に、富岡町から避難している方に売却することになり、当社が仲介業務を担当しました。
建物を撤去し、更地としての引き渡しが条件で、1,600万円でした。
72年前に1,000円で購入した土地が、1,600万で売却できたわけですから、その間に、土地の値段は1万6,000倍になったということです。
食糧難の時代に大活躍し、その後姉夫婦一家の生活の基盤となり、最後は、1,600万の資産として役立ったわけです。
相馬市砂子田の300坪の土地を購入して出征した父に感謝すると同時に、資産としての土地の価値に思いをめぐらしている、今日、この頃です。