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鬼はどこにいるのでしょうか。二本松市の北東方、阿武隈川のほとりに安達ケ原という地名の場所があり、その昔、鬼婆が棲んでいたという伝説があります。
地獄絵図に描かれている鬼たちは、閻魔大王に仕えているわけですから、地獄に棲んでいたのでしょう。
かつては、身近なところにも、鬼のような上司だとか、鬼姑(オニシュウト)とか・・・、たくさん居たようです。
秋田県の横手地方には、「なまはげ」という鬼の姿をした伝統行事が残っています。
極悪非道の行いをする人を表す言葉として、人の皮を被った「鬼」という表現をする場合があります。鬼は悪の権化の代表として、この世ではすこぬぶる評判が悪いわけです。
しかし、よく考えてみると、この世での悪いことをした人が、あの世に行くときにふり分けられて、地獄に行き、獄卒の鬼達に責めを受けるわけですから、鬼たちは、悪人を懲らしめる「社会的な役割=必要かつ有用な役割」を果たしていることになりそうです。
横手地方の「なまはげ」も、悪いことをする人を探し出して、懲らしめるという役割を担っているようです。
こんなふうに考えると、鬼のイメージも少し変わってきます。
鬼にまつわる民話や伝説は日本各地だけでなく、中国にもあるようです。鬼の起源は中国なのかもしれません。
欧米では、「悪魔」が鬼の役割を果たしているようです。
人間は、時と場合によっては、鬼にも神・仏にもなる「生きもの」なのかもしれません。
せめて、修業を重ね、心の中に棲む鬼や悪魔があばれださないように、心の重しを積み上げたいものです。
・・・と、ここまで書き進んだところで、東京電力の原発事故の被災者に対する対応のことが頭に浮かんできました。
福島第一原発の事故から6年が過ぎ、東電の対応・態度・姿勢も大きく変化してきました。
事故の責任と関連する賠償についても、事故後の2年ぐらいは、窓口レベルでは被災者に真摯に対応する人が多数でした。
初期対応をどうすれば良いのか・・・、手探りをしながら、被災者とともに悩み、ともに考えるという姿勢が見られました。
その後、数次にわたる原賠審の答申、基準設定を受けて、東電との交渉やADRへの提起も多くなるにつれて、悪い方向に変化しました。
私のみるかぎり、東京電力の賠償問題の窓口も東電対策本部(?)も、そのころから、真摯な対応から外れる姿勢が強くなったと感じます。
心を鬼にして(?)、会社(東京電力)のために、被災者・被害者には、東電基準を「錦の御旗」にして、木で鼻をくくるような対応する人が多くなりました。
鬼(東電)の側につくのか、人(被災者)の側につくのか、心のあり方が問われているわけです。