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SEALDsという元気のいい若者の政治集団が、自然発生的に生まれ、がんばっています。
インターネットという時代の最先端をゆく「近代兵器」を最大限に活用した、政治に目覚めた若者達の行動部隊といえるのでしょうか。
昨年12月6日に行われた「戦争法廃止」銀座デモについての新聞報道で、「法案は止まらなかったけど、社会は変わっている。大きな希望がある」「未来の社会の腐葉土になれれば、それでいい・・・」とSEALDsのメンバーの一人が訴えていたことを知りました。
「未来の社会の腐葉土・・・」という言葉が胸の奥まで届いたのは自分だけではないようです。
ネットで調べてみると、筑波大の諏訪原健さん(23)という院生の発言で、大きな反響を呼び、ネット上でも多くの人々が心を動かされ、発信していることが分かりました。
SEALDsのメンバーは、胆のすわった若者達であるに違いないとは思っていましたが、「未来の社会の腐葉土・・・」という発言を知って、もしかしたら、宗教者・伝道者・殉教者のレベルに達しているのではないかとも思えました。
「殉教者・・・」という言葉が思い浮かんだのには理由があります。
キリストの言葉として、「一粒の麦は、そのままでは一粒だが、地中で消滅し芽を出せば、やがて多くの実がなる・・・」という、死を前にした言葉が、ヨハネの福音書に記されています。
宗教とは、ほとんど無縁で生きてきた自分ですら、「一粒の麦・・・」という言葉とその意味も理解(?)しているほどですから、世の中の真理・道理の一端を示したものなのでしょう。
「一粒の麦・・・」と「次の世代の腐葉土・・・」という言葉には覚悟を決めた人間のみ
が発信できるという意味での共通性=普遍性があることに気づきました。
だからこそ、私の様な俗人の心にも届く、何か崇高なメッセージとして伝わったに違いありません。
SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)というは、この7月の参議院選挙をもって、団体としては解散すると予告しています。
もともと、学生による緊急アクションとして組織された集団なので、一定の時期に活動に区切りをつけ、潔くピリオドを打つ行為は、日本人の心に大きく響くものがあります。
SEALDsの主導で進められた、一人区における野党間の統一候補選定は、予想を超えた力を発揮するのではないでしょうか。
奇しくも、今日、6月15日は、56年前に「国会突入デモ」の渦中で命を落とした樺美智子さんの命日にあたります。
天国の樺さんは、今日の原発反対運動・安保法制反対運動・参院選での野党共闘の盛り上がりを見て「人知れず微笑ん」でいるのではないでしょうか。
同時に、舛添都知事の往生際の悪さに侮蔑の嘲笑を浮かべている姿が目に浮かびます。(合掌)
『人しれず微笑まん』
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
それぞれの道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほゝえみたいものだ
(樺美智子遺稿集より)