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丁度11年前の今ごろ、時々背中の痛みをうったえていた92才の母親を連れて、会社の近くの済生会病院を訪ねました。私が30年も前から人間ドックでお世話になっていた栗原先生に診てもらったところ、末期の膵臓ガンという診断です。高齢と患部の位置からして手術は無理であり、本人の苦痛を最小限に抑えながら最善の手をつくすという基本方針が即座に決まりました。
今、11年前の手帳を取り出して日付を追いながらこのコラムを書いています。私は40年程前から、毎日の予定と出来事を手帳に記入する習慣が身についています。「手帳を秘書として使う(http://www10.plala.or.jp/tika-infre/techouihsyo.html)」という自作の寄稿文を文字通り実践しているからです。
1年で3~4冊の手帳を使い切るやりかたですが、毎日の行動記録がしっかりと残るので大変重宝しています。
’97年の4月25日から9月8日まで使った手帳のページを繰っていたところ、8月31日(日曜日)の欄にこんな短歌が記されていました。
「黙しつつ 大地踏みしめ 大空に 相あふ心 今しおぼえぬ」
昭和2年 クラ子
とあります。小康状態であった母親が、日曜日の夕食時に昔語りをしていた時のメモです。日本女子大国文科2年生の母が、井の頭公園で、その後私の父親となる徳助(徳チャンと呼んでいた幼なじみです)とデートをした時の心情を詠んだものです。学生時代、武島羽衣先生に師事していた母は歌ごころも豊かだったようです。
また、闘病中の7月にはこんな歌も残しています。
「のきしたの あまだれの音に ふと目ざめ さわやかなりし 夏の一日」
平成9年7月 クラ子
ポプラの巨木の下に建つ我が家は、夏涼しく快適な家でしたが、落ち葉で雨どいが詰まっていて、すぐに雨だれが落ちてくるという欠点もありました。日中に夕立ちのあった日の夕食時だったと記憶しています。こんな歌をつくってみたが、下の句の最後は「夏の一日」と「夏の夕暮れ」でどちらがいいと思うか、と話かけてきました。私は、一日を通してさわやかと感じていたのであれば「夏の一日」の方がふさわしいのではないか、などと話した と記憶しています。
痛み止めのモルヒネの使用量もだんだんと多くなっていくなかで、自分は今、幸せな時間を過ごしているというメッセージを周りの人に知らせたかったのだということが、今にして理解できます。
そんな母がよく口にしていた言葉が「すまじきものは、宮仕へ」です。清少納言が1,000年も前に書いた「枕草子」の書き出し文言だということはなんとなく分かっていましたが、母がその言葉に込めて伝えようとしたメッセージの意味が分かったのは、社会人として仕事に就いてからでした。
不本意なことでも「宮仕えの身」であれば実行しなければならない場合もある。自分を殺して仕事をしているから給料がもらえる。そんな世の中の仕組みと宮仕えの悲哀から早く脱出し、自分で独立して仕事なり事業を始めなさいという願望を込めたメッセージだったのでしょう。
30才を過ぎた頃から独立志向、事業にチャレンジしてみたいという意欲が一層強くなりました。運良く不動産鑑定士の二次試験に合格し、(財)日本不動産研究所で5年間修業した後、独立開業したのは40才を目前にした丁度今頃でした。30年前の日本経済は、高度成長の途上であり公共事業も年々増加していたので、不動産鑑定業界は恵まれた環境にあったわけです。
独立開業してつくづく感じたことは、「宮仕え」から「世の中に仕える」「世間一般の人に役立つ仕事をする」ことの重要性です。特に3年前に開設した不動産事業部の仕事は、世間一般の人々が自ら汗を流して稼いだお金で一生に一度の高額な買い物である住宅取得のお手伝いをする仕事です。
「宮仕え」ではなく「世の中に仕える」という意味で、やりがいのある仕事だと感じています。
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