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年をとったせいか、食べることへのこだわりが年々強くなっているように感じます。食べる量は少なくなっていますが、味へのこだわりは衰えていません。
年を重ね、世の中の珍味・げてものも一通り味わってきたせいでしょうか。それとも、これから口にできる食事の残された回数が限られてきたせいでしょうか。
朝の食事をしながら、昼食はどこで何を食べるかなーなどと口に出しては、家人に馬鹿にされています。
特別のことがないかぎり、夕食は自宅でとるように心がけています。夜の集まりに出席すると、帰宅してから「もう一杯」となりがちなので、医者のすすめもあり、夜の外食は極力控えているわけです。
仕事がら、県内各地をとび回っているわけですが、その日の最大の関心事は、昼食をどこで何を食べるか・・・です。われながら、なさけない話です。
しかし、年を重ねると、楽しみは美味しい料理を味わうことぐらいしか残されていないので、まあ…許されることなんでしょう。
美味しい料理の定義・条件を食べる側、作る側に分けて考えてみました。
食べる立場からみたおいしい料理は、
○味
○香り
○食感
○盛りつけ
・・・いずれも合格点に達していることです。
作る側にすれば、
○食材選び
○調理のウデ
・・・といったところでしょうか。
いずれも、その通りですが、つけ加えるとすれば、後味の良さではないでしょうか。
味、香り、食感、盛りつけ、いずれもマアマアあるいは合格点だと思いながら、店を出た後で、何となく後味が悪い、人工的な、化学調味料の味が残る・・・といった経験は何度もしてきました。
そんな店には二度と足が向きません。経験上、大衆食堂や中華料理の店に多い気がします。
世界的にみても、1人当たりの化学調味料の消費量は日本と中国が断トツです。
後味の良し悪しは、何も、料理だけに限りません。
人との出会いや付き合いも、後味の良さが大切だとつくづく思います。
出会い、付き合い、仕事ぶりも、後味良い人には多くのファンができるのではないでしょうか。
残りの人生、後味の良い人だったと云われるような振る舞いを心がけていきたいものです。