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何とかなる、望みがある場合が「希望」。どうにもならない、望みがない場合は「絶望」。ぐらいに、何となく思っていました。
 
 出典は失念しましたが、2ヶ月程前に、『努力が報われる見通しがある場合は、「希望」となり、努力が報われる見込みがない場合は、「絶望」となる』という文章を目にしました。
 
 なるほどな・・・、と思いました。どんなに苦しい立場に立たされても、努力をすれば何とかなる、報われるという場合であれば、「希望」は持てるということです。
 
 その反対に、どんなに努力してみても、どうにもならない、見通しがつかない、努力が報われない場合には、「絶望」に陥るということのようです。
 
 70余年も人間をやっていると、苦しいことも、楽しいことも、数多く経験します。
 
振り返ってみると、独立開業してからの30余年は楽しいことが多かったように感じます
 
自分で選んだ道なのだから、少々苦しいのは当たり前という「覚悟」みたいなものがあったから、苦労が苦にならず、「苦労を楽しむ」余裕みたいなものがあったからでしょうか。
 
今回の東日本大震災の被災者の場合、巨大津波の被災者の大部分は、自宅の跡地には戻れないようです。
 
しかし、高台代替地が準備されるようで、「安全」な新天地での新生活は可能でしょう。
 
問題は、原発による被災者です。政府は、かなり甘い見通しを立てているようですが、今後10年、20年と故郷を離れての生活を余儀なくされそうです。
 
 生活の基盤を全て失い、避難先では仮の住まいはあっても、仕事は見つかりません。
 
 その心情は、いくら希望を持てといわれても、絶望に近いのではないでしょうか。
 
 数日前には、浪江町の自宅に一時帰宅した人が、帰らぬ人となったと報道されていました。
 
 十数年来、苦境に立たされてた友人・知人に対して「首くくらずに、胆くくれ!」と言い続けてきましたが、今回の事態には、言葉になりません。
 
 天が人類に与えた「試練」と受けとめ、原発周辺地域の人々は「試練」に立ち向かうフロンティアだと胆をくくる外に道はないのでしょうか。
 
 本業である不動産鑑定評価の世界も「試練」の場に立たされています。
 
 原発周辺の地域だけでなく、福島市や郡山市の放射線量もかなり高いからです。
 
 この地域の土地の値段はどうなるのでしょうか・・・。誰にも確かなことは分かりません。
 
 何とかして、安心して生活できる地域にする以外に道がないことだけは確かです。
 
 
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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