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一昨日、10月11日は民族主義者阿部勉氏の命日でした。1999年10月に53才で没してから、早や11年になるわけです。
早稲田大学在学中から右翼・民族主義の活動を始め、三島由紀夫の楯の会の創立メンバーとして参画した、その道では有名な人です。
縁あって、福島市内に居を構え、4年程地方誌の編集者として仕事をしていた時期があります。
その頃、私は早大卒業生の同窓会である福島稲門会の幹事長をしていましたので、阿部氏とは親しくつき合っていました。
行動面では賛同できない面も少なくなかったのですが、一身を投げだしてもその使命を全うしようとする、その生き方、姿勢、面容には強くひかれるものを感じていました。
20年ぐらい前でしょうか、「今の日本で、最大の問題で、まず正さなければならないことは何だと考えているのか?」との問いに対して、「教育の現状です。日教組が支配する義務教育の現場を正常化することが急務です」との答えでした。
「そのためには、どこをどう改めれば良いのか?」とさらに問うと、「教師の養成制度を改めるべきです。戦前の師範学校制度の良い面をとり入れ、授業料も、生活費も無償で使命感を持った教師を養成する制度を復活させることが必要です。」とのことでした。
うなずける面もありましたが、戦前の日本を戦争への道へと導いた責任の一端は「教育制度」にもあるのではないかと考える自分としては、全面的には賛同できない旨の話をしたことが、なつかしく想い出されます。
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政治向きの話はあまりせず、家族のことなどお互いの「近況報告」といった感じでした。
阿部氏は正真正銘の右翼・民族主義者。私などはやや左がかった民族主義「だった」といった程度ですが、なぜか、通じるものがあったのかもしれません。
実は、このコラムは去年の10周忌に書く予定だったものです。カレンダーの10月の欄(ページ)に氏の略歴を貼り付け、コラムを書く予定にしていました。
ところが、9月のカレンダーを外さないまま、10月の半ばが過ぎ、タイミングを失ってしまいました。
今年は、手帳の予定欄にもしっかりと記入し、阿部氏に関するメモ類は仕事机の後ろの壁の目立つところに貼り付けておきました。
そんなわけで、このコラムが書けたわけです。
人との出会いと別れ、縁(えにし)を大切にしながら残り人生を精一杯生きる・・・、そんな思いを強く持たせてくれた11周忌でした。
なお画像の短歌は、阿部氏が福島を離れるときに、はなむけとして贈ったものです。
「憂国の心 貫き征く君の 道を標せよ 花も茨も」
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