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6年ほど前から「ネット不動産フロンティアノート」(http://www.takakan.co.jp/frontier.html)として59回にわたりインターネットの普及が不動産仲介業にどんな影響を与え、どんな変化をもたらすのかを考え続けてきました。
その後、原発事故被災地の不動産評価に全精力を注いできたために、「フロンティアノート」の方は暫時お休みとなっています。
不動産鑑定士として、40年余り、福島県を中心にして仕事をしてきた人間として、原発事故に正面から向き合い、被災地の不動産賠償はどうあるべきかについて、考え、行動し、発信することが、自分に与えられた「使命」であると信じ、「原発賠償を考えぬく」(http://www3.plala.or.jp/kantei/baisyo24.html)というコラムを書き続けています。
25回ほど書いてきましたが、論ずべきテーマ、考えぬくべき論点は、まだまだ多く、「日暮れて道遠し」の感です。
原発賠償問題について考えすすめていくうちに、原発ゼロを目標とした国民運動・統一戦線こそが、その実現を可能にする「唯一の道」ではないかとの思いを強くし、「原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望」というサブ・テーマで4回ほどコラムを書きました。
書いた内容としては、ネット時代という歴史的な変化が、政治、とりわけ国民運動にどのような影響と変化をもたらすのか、その可能性と展望について「考えぬく」ことでした。
身の程知らずの挑戦でしたが、時代の最先端にチャレンジしているという「手応え」に背中を押され、運動の広がりに励まされて書き続けることができました。
書いては考え、考えては書くという「作業」の連続でしたが、緊張感と充実感を伴う「楽しい」時間でした。
ネット時代の政治の特徴は、一言でいえば、ネットを媒体として「無関心」・「お任せ型」から、「参加型」政治・国民運動型政治へ大きく変化する可能性を秘めていることにあります。
1年前に、しかも、原発ゼロを目ざす国民運動という切り口で書いたコラムですが、今、読み返してみると、あたかも、安保法案反対の国民運動の盛り上がりを予告していたかの感があります。
安倍総理の採った路線・手法は、祖父譲りなのでしょうか、国民を挑発するような強引さと幼さが目だちます。
しかし、結果としては、若者を政治に目覚めさせ、子育て中の主婦や旧安保世代まで立ち上がらせ、学者先生まで敵に回すことになってしまったことになります。
反面教師として、国民各層に教訓を与え、各野党を結集する方向で励ますことななったわけです。この面だけを見ると、歴史に名を残す「偉大な政治家」といえるのかもしれません。
追記
なお、蛇足ですが、「ネット時代・国民運動」で検索すると、私の書いた「原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望」がYahooで1位から3位を占めています。
検索エンジンという時代の最先端で闘っている部隊から、「勲章」を授けられたといっては、いいすぎ、思い上がりでしょうか。
わが国の人口構成の高齢化は世界に例のない速さで進んでおり、様々な問題が指摘されています。
2015年の65歳以上の高齢者は、3,277万人(26%)ですが、20年後には3,667万人(32%)となり、日本人の3人に1人は高齢者となるわけです。
高齢化社会の問題点としては、
○社会保障費の増大
○介護負担の増大
○医師不足・看護師不足
○生産年齢人口の減少
・・・が指摘されているわけですが、抜本的な解決策は見あたりません。
私自身も立派な(?)後期高齢者ですが、自分の問題としては深く考えたことはありませんでしたし、仕事(不動産仲介業)との関連で、少子・高齢化時代のマーケットの変化についてネット不動産フロンティアノート(http://www.takakan.co.jp/netfudosan/frontier51.html)に書いた程度の関心しか持っていませんでした。
たしかに、高齢化問題への対応といっても、個人レベルの対策・対応と、国家レベルあるいは社会的な対応では大きな違いがあります。
個人レベルの対応策としては、健康を維持して「生涯現役」を貫き、「コロリ」と終末を迎えることぐらいか考えていません。
わが国の人口構成の高齢化の問題点は明確になっているのに、その対策・対応策は実効性のある政策になっていないのはなぜでしょうか?
そのことこそが、高齢化社会を迎えたわが国の最大の問題点ではないかと気がつきました。
若年層・生産年齢人口が減るなかで、医療・介護を含めた社会保障費は増大し、国家財政は「破綻寸前」の状態です。
なのに、投票行動(投票率)で影響力の大きな高齢者への「配慮」ばかりが先行し、わが国の経済力や財政的実状に合った社会保障政策を打ち出す「勇気」のない政治家ばかりが目に付きます。
井堀利宏氏(東大大学院教授)が警鐘を鳴らしているように「シルバー民主主義」がわが国の政治を支配し続けるとすれば、この国の未来はどうなるのでしょうか。
国債大量増発の続行⇒日銀による事実上の全量購入⇒○○○をきっかけとする金利の急上昇⇒国家財政の破綻⇒インフレ時代の到来と増進⇒高齢者が保有する金融資産の価値急減・年金支給額の半減・・・といった悪夢がチラツクのは自分の高齢化による「老婆心」「杞憂」であればいいのですが・・・。
挑戦と応戦の違いについて、かつて、考えたことがあります。
日本語ニュアンスでは、挑戦という言葉には、外部から挑む、他に向かって仕掛ける、敵対行動をとるといった意味が強く、通常はそんな使われ方が多いわけです。
応戦という言葉のニュアンスはより直截的で、挑戦に応じる、反撃する、といった軍事的な意味が強くこめられているようです。
ところが、よく調べてみると、挑戦という言葉には、人間の攻撃的行動だけでなく、時代の変化や技術の変化、あるいは気候変動・自然災害や病(病原菌からの挑戦)やストレスなど幅広い現象も含む言葉として、世界では使われていることが分かりました。
応戦という言葉にも、当初は軍事的意味が強かったようですが、現代社会では、上記の挑戦に対して、当方もしっかりと対応・応答する、つまり、時代の変化等々の「挑戦」の内容と特徴をよく研究し、対応の戦術・戦略を練り上げることこそが真の「応戦」であるという意味が強く含まれるようになってきました。
「挑戦」と「応戦」(challenge and response)という言葉を対比して使ったのは、恐らくイギリスの歴史学者トインビ博士が始めてだったと思われますが、その後、歴史だけでなく、社会学や経営学でも使われる概念となったようです。
英和辞典で調べてみました。
「挑戦」 ・・・challenge
「応戦」 ・・・fight back
・・・return (the enemy's) fire
・・・accept the challenge
といった解説で、いずれも軍事用語の域を出ていません。
私自身も「挑戦と応戦」という切り口でものごとを分析することに強い関心を持ち、2年ほど前に書き終えたネット不動産フロンティアノート(NO.11-4)http://www.takakan.co.jp/netfudosan/frontier53.htmlで以下の記述をしています。
今、世界経済はグローバリゼーションとインターネット革命という大変動期を迎えています。幸い、ドメスティック産業(国内限定業種)の代表格であるわが国の不動産仲介業は、国際化という荒波の影響は直接的には受けていません。
しかし、インターネット革命という時代の大潮流、世の中の大変革に直面し、仲介業者はその営業戦略を根本から変化させていかざるを得ない立場に立たされています。
好きとか嫌いの話ではなく、得意とか不得意のレベルでもありません。時代が、世の中が、情報発信・受信の手段が、インターネット中心に根本から変わったのです。この認識を誤り、従来の集客手法にこだわり、インターネット時代にふさわしい営業スタイルを生み出せない仲介業者は、10年後には確実に淘汰され、世の中から消えていくことでしょう。
戦略的な用語でいえば、不動産仲介業はインターネット革命という外部からの挑戦を受けている真っ最中です。この挑戦に対して、真正面から受けとめて「応戦」する気概・勇気を持たない業者は戦場から消える運命にあるわけです。
今、読み返してみても、不動産仲介業界に限っていえば、その通りだと思います。
今後は、もう少し視野を広げて、わが国が置かれた現状について、挑戦と応戦という視点から考えを進めていくつもりです。
3.11は自然がわが国民に与えた試練であり、見方を変えれば、天が大震災という自然現象を通して、わが国に対して挑戦してきたともいえます。
この挑戦に対して、国として、民族として、どう応戦するかが試されているのではないでしょうか。
安易な道を選ぶのか、試練の道を進むのか、国の指導部も含めて、真価が問われているとつくづく思います。