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15年程前でしょうか。2泊3日で秩父盆地を旅行したことがあります。
 
 温泉に入ったり、古道具屋を覗いたりしながらゆったりとした時間を過ごしました。
 
 予備知識は全くなかったのですが、「秩父困民党無名戦士の墓」に出会いました。
 
 b77853e3.jpeg
  
    「われら  
    秩父困民党
    暴徒と呼ばれ
    暴動といわれることを
    拒否しない」
 


 「困民党」という言葉は初めて目にしたので、その意味することに思いを巡らしました。
 
 自由民権運動や福島事件、加波山事件は、三春町の歴史民俗資料館を訪れた際に学ぶ機会があり、深い感銘を受けたことを記憶しています。
 
 広くとらえれば、秩父事件も福島事件も加波山事件も、近代日本の民主主義の原点となった「自由民権運動」の一環とみることができそうです。
 
 しかし、「秩父困民党」を中心に「決起」した秩父事件は、なぜか、日本近代史から抹殺されてきたようです。
 
 「困民党・・・」という表現はどこから生まれたのかを考え続けながらの秩父盆地巡りとなりました。
 
 1871年のパリコミューンについては、一定の知識を持っていたので、その13年後の1884年の困民党という命名は、「コミューン」の当て字ではないかと閃きました。
 
 丁度、インターネットを導入した時期でしたので、会社に戻ってからネットで調べてみました。「秩父困民党」・「パリコミューン」というキーワードで検索したところ、2~3件が関連ありと表示されたと記憶しています。
 
 今、同じキーワードで検索すると817件検出されます。秩父事件がわが国レベルでもタブーではなくなり、評価が変わったことに加えて、インターネットの普及により情報の発信量が飛躍的に伸びた結果でしょう。
 
 インターネットは、主義主張・思想信条や立場の違いを乗り越えて、コミュニケーションの可能性を広め、かつ、深めたことを痛感します。
 
 そういえば、コミューン(生活の共有)とコミュニケーション(情報の共有)とは言葉としてだけでなく、内容でも共通性を多く持つ関係にあることに気づきました。
 
 いつものことですが、気づくのが遅すぎます。
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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