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茶道・華道・書道・香道・・・・、道の付く方面は全く不調法ですが、縁あって、事務所のある福島法曹ビルのエントランスに草月流の「生け花」を毎週飾るお手伝いをさせてもらいました。
3ヶ月ほど経過したので、計12回の作品を楽しんだことになります。
(http://www.takakan.co.jp/sougetu.html)
ビルに出入りする度に目に入るので、1日に5~6回は観賞しています。
毎週月曜日に生け替えるので、同じ作品を30回、時間にして計15分ぐらいは見ているでしょうか。
不思議なことに、なぜか、華道のことが少し理解できるような気がしてきました。
花や素材を使って、―――空間を立体的に構成し、何かを訴えようとしている―――・・・何か伝わってくるものを感じるようになりました。
それぞれ、異なった作品を10作以上見ていると・・・、訴えようとしている何かが分かるような気がしてくるから不思議です。
作者は、何か新しいものに挑戦し、創意工夫をこらして表現する・・・、そのあたりに華道の面白さがあるのかな・・・などと、自分勝手に解釈しています。
いずれにせよ、毎週、月曜日が楽しくなった・・・というのが実感です。
お百度参り・お百度を踏むという祈願のしかたがあります。
私が唯一楽しみにしているテレビ番組鬼平犯科帳の昨夜版で、一人息子を拐かされた母親が裸足でお百度を踏み、疲れはてて途中で気を失うというシーンがありました。
それで憶い出したのですが、私が大学受験の浪人生活を送っていた時に、母親が相馬の家の近くのお寺で合格祈願のお百度参りをしてくれたことです。
東京で予備校通いをしていた正月明けだったでしょうか。ハガキで「さりげなく」知らせてくれました。
50数年前ですから、通信・連絡手段は郵便ハガキが主でした。「ふるさとの便り」が届くのは月に2~3回、こちらから出すのは、送金を受け取った時の返事ぐらいだったわけですが、この時のハガキだけははっきりと憶えています。
お百度参りに、どのぐらいの効用があるのかは分かりませんが、願いごとを叶えるために、何か行動をしなければ・・・という思いと、その思いを相手に伝えることで、伝えられた側が発奮するという効果はたしかにあるようです。
浪人生活も二年目で、ややたるみがちであった自分の心に、ムチ打つハガキであったことはたしかです。
それに加えて、お百度を踏むという行動は、一つのことに集中してかなりの時間を過ごすということであり、過去をふり返り、将来のことを考えるという意味でも、かなり有用な精神作用が働くのではないでしょうか。
家や土地を買うという決断や行動の場においても、「お百度参り」の行為は役に立ちそうです。
一生に一度といわれる買い物をするわけですから、現地・現場は百回とまではいかんくとも、最低でも7回は「お参り」すべきとされています。
朝、昼、晩、真夜中、早朝、雨の日、風の日、これぐらい現地を訪ねれば、多くのことが見えてきます。
くれぐれも、「早く決めないと、他の人で決まりますよ・・・」などという仲介業者の「アオリ行為」に乗せられないように気をつけて下さい。
一見して気に入った物件について、買う側がとるべき行動は、「購入申込書」俗にいう「買付証明」を売り主側に出すことです。
念のためつけ加えれば、「買付証明」は法的には買い主(予定者)を何ら拘束するものではなく、買い希望の優先順位を確保するためのものです。
もちろん、「買付証明」を受け取った売り主側については、他の買い主に対する仲介行為を一時的に中止し、「商談中」の扱いとして、買い主の最終判断を待つという、道義的責任は生じます。
お百度参りを物件探しにあてはめれば、信頼できる仲介業者のホームページを50回も100回も訪れ、徹底してチェックすることではないでしょうか。
自分の時間を使って、100回もホームページを見るのは大変ですから、希望条件をメールで仲介業者に登録し、条件に合致しそうな物件情報をメールで送ってもらうという手法が、最も合理的で、進んだ手法だと信じて、がんばっています。
このごろ、時代劇のテレビドラマをよく観ます。
お気に入りは「鬼平犯科帳」シリーズで、PM7:00のNHKニュースを外して、BSフジの犯科帳にチャンネルを合わせるのですから、そうとうの入れ込みようです。
悪知恵に長けた盗人集団が、狙いをつけた商家に手の者を住み込ませ、金蔵のありかや屋敷内の見取り図を作らせて、準備万端ととのえてから盗みに入るという単純な筋書きですが、悪知恵や悪の手口が勉強になるのではということを口実にして、家人に「半可くさい」と馬鹿にされながら、週に2~3度は観ています。
押し込みが成功して、千両箱を次々と運び出す場面が毎回のように出てきます。
丁度、大工職人の道具入れぐらいの大きさで、頑丈なつくりのようです。
そんなシーンを見ていると、昔、我が家にあった五百両箱を思い出します。
我が家は、相馬市の旧「鉄砲張り町」(現在の宇多川町)という場所にあったのですが、なぜか、丈夫な木製の五百両箱がありました、
もちろん、中味は空っぽで、子供のおもちゃ箱代わりに使われていました。
五百両は現在価値にするといくらぐらいになるのか、インターネットで調べてみました。
直接、比較できる統計数字はないわけですが、米価や大工の賃金等で推定すると、約20万倍、つまり江戸中期の五百両箱は、現在価値で約1億円ということです。
母親から聞かされていたことでは、我が家のご先祖様は、相馬藩の鉄砲鍛冶だったそうで、名字帯刀を許された「名家」だったということです。
そういえば、刀もあったと記憶しています。敗戦後、マッカーサー占領軍の命令で、刀は召し上げられたようです。
旧鉄砲張町(鉄砲を作る作業を鉄砲を張ると表現したようです)一帯が、ご先祖様の屋敷兼作業場だったと聞いていました。
だとすると、かなりの資産家だったのかもしれませんが、祖父の時代は町中の普通の商家でした。
せめてご先祖様の形見の五百両箱を大切にしておけば・・・と、今にして思いますが、中味が空っぽの箱などいつのまにか所在不明となってしまいました。