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わが国では、「弁証法」というと、一部の左翼学派やマルクス主義哲学の独占物のように受けとめられがちですが、大きなマチガイです。
ドイツの哲学者ヘーゲルによってほぼ完成された弁証法的考え方は、今や世界の最先端のビジネスマンや自然科学の研究者の手法としても活用されています。
人間の世界、世の中を、「対立物の統一」として大きくとらえ、世の中の進歩・発展を「螺旋的発展」と規定する考え方(哲学)が「弁証法」です。
対立物の統一とは、資本主義の世の中にあっては、資本家と労働者はお互いに「対立」する立場にありながら、反面、相手の存在がなければ、世の中に存在できないような関係を指す考え方です。
自然界にこの法則をあてはめれば、磁石のN極とS極のような関係であり、「化学」の世界でいえば、正の電荷を持つ陽イオンと負の電荷を持つ陰イオンの関係です。
この考え方を不動産仲介業にあてはめるとどうなるでしょうか。
売り主の立場・事情について考えてみます。
30年前に、3人の子供を伸び伸びと育てるために郊外に戸建住宅を買いました。今では、子供達も独立し、5DKの住居に住むのは夫婦2人だけです。
ローンの支払いも終わり、夫は退職しました。日常の買い物や病院通いのことを考えると郊外の生活は何かと不便です。5DKの家は広すぎて掃除も大変です。
市の中心部に築10年の3DKのマンションが1,200万円で売りに出ているのをインターネットで見つけました。
考えてみれば、子供達は独立して、福島に戻る予定はありません。これから先、庭の手入れも大変になりそうです。
学生時代の下宿暮らしから始まって、結婚してのアパート暮らし、子育てのために「広さ」を求めて郊外に戸建住宅を買い、老後は利便性の高い中心部のマンションに住む。
この生活変化を「弁証法」的に解釈すれば、両親の家族として生を受け、親と世の中の庇護の下で教育を受けて、独り立ちし、結婚して次の世代の受け手(子供)を育てるという、世の中の循環・発展の一端を担っているということになるわけです。
つまり、住宅のマーケット・住宅流通の世界に、アパートの借り主として第一歩を踏み出し、郊外住宅の売り手であり、中心部マンションの買い手として三たび住宅流通市場に登場しようということです。
対立物の統一(相互浸透)とういう考え方から見ると、売り手が存在するから買い手も現れるのであり、その逆も成り立つわけです。お互いに価格その他で利害は鋭く対立する立場にありながら、その存在が前提となるという意味で文字通り「対立物の統一」の関係なわけです。
そこで、考えました。主として価格をめぐって鋭く対立する(そうでないケースも少なくありませんが)立場にある売り主と買い主の間に入る仲介業者の役割は何なのでしょうか。
弁証法の立場で見た時、不動産仲介業はどう解釈できるのでしょうか?
弁証法の考え方に止揚(アウフヘーベン)という思考法があります。対立・矛盾はより高次元なものへと展開することで止揚されるという哲学的論証です。(難しすぎて理解できなくとも全く問題なしです。念のため)
買い主の立場に立った際の仲介業者の例で説明します。
ある物件を買いたいと思っているお客様の、本心、ニーズ、考え方、生き方を十分に聞き知ることが仲介業者の仕事です。
しかし、物件の価格をめぐっては、売り主側とは対立関係にあるわけです。この対立を解決(止揚)するのは通常はマーケットです。
不動産の場合、厳密な意味での市場・マーケットはありません。相対取引であり、仲介業者が市場の代役をするわけです。
不動産という超高額商品の取引に際して、利害対立する売り主と買い主の間に入って、双方の利害・言い分を十分に聞き、双方を納得・満足させる役割を果たすことが、不動産仲介業を弁証法という高度な哲学的考察から見た位置づけであることが分かりました。
生煮えの論考をご笑覧下さい。
ドイツの哲学者ヘーゲルによってほぼ完成された弁証法的考え方は、今や世界の最先端のビジネスマンや自然科学の研究者の手法としても活用されています。
人間の世界、世の中を、「対立物の統一」として大きくとらえ、世の中の進歩・発展を「螺旋的発展」と規定する考え方(哲学)が「弁証法」です。
対立物の統一とは、資本主義の世の中にあっては、資本家と労働者はお互いに「対立」する立場にありながら、反面、相手の存在がなければ、世の中に存在できないような関係を指す考え方です。
自然界にこの法則をあてはめれば、磁石のN極とS極のような関係であり、「化学」の世界でいえば、正の電荷を持つ陽イオンと負の電荷を持つ陰イオンの関係です。
この考え方を不動産仲介業にあてはめるとどうなるでしょうか。
売り主の立場・事情について考えてみます。
30年前に、3人の子供を伸び伸びと育てるために郊外に戸建住宅を買いました。今では、子供達も独立し、5DKの住居に住むのは夫婦2人だけです。
ローンの支払いも終わり、夫は退職しました。日常の買い物や病院通いのことを考えると郊外の生活は何かと不便です。5DKの家は広すぎて掃除も大変です。
市の中心部に築10年の3DKのマンションが1,200万円で売りに出ているのをインターネットで見つけました。
考えてみれば、子供達は独立して、福島に戻る予定はありません。これから先、庭の手入れも大変になりそうです。
学生時代の下宿暮らしから始まって、結婚してのアパート暮らし、子育てのために「広さ」を求めて郊外に戸建住宅を買い、老後は利便性の高い中心部のマンションに住む。
この生活変化を「弁証法」的に解釈すれば、両親の家族として生を受け、親と世の中の庇護の下で教育を受けて、独り立ちし、結婚して次の世代の受け手(子供)を育てるという、世の中の循環・発展の一端を担っているということになるわけです。
つまり、住宅のマーケット・住宅流通の世界に、アパートの借り主として第一歩を踏み出し、郊外住宅の売り手であり、中心部マンションの買い手として三たび住宅流通市場に登場しようということです。
対立物の統一(相互浸透)とういう考え方から見ると、売り手が存在するから買い手も現れるのであり、その逆も成り立つわけです。お互いに価格その他で利害は鋭く対立する立場にありながら、その存在が前提となるという意味で文字通り「対立物の統一」の関係なわけです。
そこで、考えました。主として価格をめぐって鋭く対立する(そうでないケースも少なくありませんが)立場にある売り主と買い主の間に入る仲介業者の役割は何なのでしょうか。
弁証法の立場で見た時、不動産仲介業はどう解釈できるのでしょうか?
弁証法の考え方に止揚(アウフヘーベン)という思考法があります。対立・矛盾はより高次元なものへと展開することで止揚されるという哲学的論証です。(難しすぎて理解できなくとも全く問題なしです。念のため)
買い主の立場に立った際の仲介業者の例で説明します。
ある物件を買いたいと思っているお客様の、本心、ニーズ、考え方、生き方を十分に聞き知ることが仲介業者の仕事です。
しかし、物件の価格をめぐっては、売り主側とは対立関係にあるわけです。この対立を解決(止揚)するのは通常はマーケットです。
不動産の場合、厳密な意味での市場・マーケットはありません。相対取引であり、仲介業者が市場の代役をするわけです。
不動産という超高額商品の取引に際して、利害対立する売り主と買い主の間に入って、双方の利害・言い分を十分に聞き、双方を納得・満足させる役割を果たすことが、不動産仲介業を弁証法という高度な哲学的考察から見た位置づけであることが分かりました。
生煮えの論考をご笑覧下さい。
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