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不動産を探したり、仲介業者を調べたりするお客さまの90%ほどはインターネット・ホームページを利用する時代になりました。
逆に言えば、新聞折込広告や案内看板を見て物件を選んだり、業者を選ぶお客さまは10%程度までに少なくなったということです。
この5年程のあいだのインターネットの急速な普及がもたらした変化の一つです。
さらに、もう一つの大きな変化がありました。それは、お客さまが仲介業者のホームページを訪れる目的の変化です。
従来は、希望する地域内の物件情報を探すために、お客さまは仲介業者のホームページにアクセスするものだと信じられていました。
たしかに、インターネットの普及期には、その通りでした。しかし、インターネットが全世帯の90%強に普及した現時点では、お客さまの目的が変わってきたと強く感じます。
お客さまの本当の気持ち、隠れた本心、潜在意識では、信用に値する仲介業者、信頼できる会社や営業スタッフを探しているのではないでしょうか。
今、ネット不動産フロンティアノートの第9章「ホームページの運営」について書き進めています。
不動産仲介業者のホームページの最大の目的は、ホームページを訪ねてくれたお客さまの信頼を獲得することにあるのではないか……、ということを論点にして書いているところです。
しかも、「信頼の獲得」はどんなビジネスでも最も難しい課題であり、永遠のテーマです。ましてや、不透明感の強い不動産業界で仕事をしていく上では最大かつ最も困難なテーマではないかと、つくづく思います。
アパートや賃貸マンションを探す場合は、物件情報優先で探すのが一般的だと言われています。
しかし、生涯一度の、しかも高額な買い物である「住宅取得」に際して、お客さまが探すのは、まず信頼できる不動産仲介業者ではないかという「仮説」を立てて考えると、ホームページ運営の課題が見えてくることに気づきました。
物件情報は各社のホームページ上に溢れています。しかも、同じ物件が載っているケースも少なくありません。マーケットは買い手主導であり、時間をかけてじっくり探すお客さまにとって有利な時代となりました。
こんな時代の変化の中で、お客さまは物件選びよりも、まず信頼できる業者選びの方に意識が変化してきたのではないかという考え方・「仮説」です。
仲介業者としては、正確で速い物件情報を数多くホームページ上で提供することが第一の仕事ですが、その中で、お客さまからの信頼を得る材料、手がかりも提供することも、それ以上に大切なことではないでしょうか。
お客さまにとって、仲介業者選びが物件選びより優先する、お客さま自身の考え方もそのように変化した(しつつある)という「仮説」が正しいとすれば、不動産仲介業者のホームページ運営は根本から変化をせまられそうです。
そこで、このコラムの読者の皆さんにお願いがあります。お客さまの立場として、ホームページを訪ね、探す目的は、物件選びか、仲介業者選びか、その優先順位はどちらかについて教えていただきたいのです。メールでも電話でも結構です。来店してお話いただければ大歓迎です。
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昨年の暮れにも書きましたが、不動産仲介業者は、お客さまと接する心構えとして、一期一会の気持ちで応対することが大切だとつくづく思います。
茶の湯の教えを説いた言葉で「あなたと出会っているこの時間は、二度と巡っては来ない一度きりのものです。だから、一瞬を大切に思い、今できる最高のおもてなしをしましょう」という意味の、千利休の説いた言葉のようです。
不動産事業部を開設し、売買仲介や賃貸仲介の仕事を始めてまもなく6年になります。
土地や建物の購入、売却、賃貸のお世話まで入れると600人ぐらいのお客さまのお手伝いをさせていただきました。
私どもは、仕事ですから、一寸気を抜くと「日常茶飯事」的な対応になりがちです。
しかし、お客さまにとっては、一生一度の高額な買い物、文字通り「真剣勝負」なわけです。
この温度差、意識の差、姿勢の差をしっかりと理解し、お客さまの気持ちと一致させることの大切さを「一期一会」という言葉は教えていると理解しています。
約600人のお客さまのお役に立てたということは、その4~5倍、3,000人ほどのお客さまとお会いしていることになります。
ホームページをご覧になっていただいたお客さまも、私どもの会社とのインターネットを通した「出会い」と考えれば、この2年半で、延べ12万人を超えるお客さまとの出会いがあったことになります。
ややもすると、一方通行になりがちなインターネット・ホームページを通した出会いに、どれだけ私どもの「本気度」、「熱い思い」を込めることができるかが問われているわけです。
今日も、千葉県にお住まいの方から、ご両親が住んでいた福島市内の家の売却を考えているので相談に乗って欲しいとのメールをいただきました。
小社のホームページをご覧になり、相談相手として選んでいただけたわけです。
ひと様の信頼に応える、お客さまの信頼に応えて、精一杯のいい仕事をする……、ビジネスの基本であり当たり前のことですが、残念ながら、この業界ではベテラン営業マンと言われる人ほど守りにくいことのようです。
誤解を受けやすく、信頼を得にくい業界であり仕事ですが、迷わずに、「お客さまの立場に徹する」という姿勢を貫いていくつもりです。
一昨日、10月11日は民族主義者阿部勉氏の命日でした。1999年10月に53才で没してから、早や11年になるわけです。
早稲田大学在学中から右翼・民族主義の活動を始め、三島由紀夫の楯の会の創立メンバーとして参画した、その道では有名な人です。
縁あって、福島市内に居を構え、4年程地方誌の編集者として仕事をしていた時期があります。
その頃、私は早大卒業生の同窓会である福島稲門会の幹事長をしていましたので、阿部氏とは親しくつき合っていました。
行動面では賛同できない面も少なくなかったのですが、一身を投げだしてもその使命を全うしようとする、その生き方、姿勢、面容には強くひかれるものを感じていました。
20年ぐらい前でしょうか、「今の日本で、最大の問題で、まず正さなければならないことは何だと考えているのか?」との問いに対して、「教育の現状です。日教組が支配する義務教育の現場を正常化することが急務です」との答えでした。
「そのためには、どこをどう改めれば良いのか?」とさらに問うと、「教師の養成制度を改めるべきです。戦前の師範学校制度の良い面をとり入れ、授業料も、生活費も無償で使命感を持った教師を養成する制度を復活させることが必要です。」とのことでした。
うなずける面もありましたが、戦前の日本を戦争への道へと導いた責任の一端は「教育制度」にもあるのではないかと考える自分としては、全面的には賛同できない旨の話をしたことが、なつかしく想い出されます。
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政治向きの話はあまりせず、家族のことなどお互いの「近況報告」といった感じでした。
阿部氏は正真正銘の右翼・民族主義者。私などはやや左がかった民族主義「だった」といった程度ですが、なぜか、通じるものがあったのかもしれません。
実は、このコラムは去年の10周忌に書く予定だったものです。カレンダーの10月の欄(ページ)に氏の略歴を貼り付け、コラムを書く予定にしていました。
ところが、9月のカレンダーを外さないまま、10月の半ばが過ぎ、タイミングを失ってしまいました。
今年は、手帳の予定欄にもしっかりと記入し、阿部氏に関するメモ類は仕事机の後ろの壁の目立つところに貼り付けておきました。
そんなわけで、このコラムが書けたわけです。
人との出会いと別れ、縁(えにし)を大切にしながら残り人生を精一杯生きる・・・、そんな思いを強く持たせてくれた11周忌でした。
なお画像の短歌は、阿部氏が福島を離れるときに、はなむけとして贈ったものです。
「憂国の心 貫き征く君の 道を標せよ 花も茨も」
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