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ヘソ曲がりな性格のせいでしょうか。左翼学生運動に熱中した時代にも、軍事問題・国防問題に強い関心を持ち、その延長線上で、地政学的な視点から国際情勢を分析するという姿勢を身につけました。
当事務所の鑑定部のホームページで連載している「原発賠償を考えぬく」というコラムでは「地政学から原発問題を考える」(http://www3.plala.or.jp/kantei/baisyo6.html)という記事を書きました。
今回は、わが国の原発再稼働が地政学・国防論的にどのような問題点をかかえているかについて考えてみます。
前述のコラムでは、地震の巣である日本列島に原発を立地することのリスクの大きさを地政学の視点で論じました。
「原発再稼働」は同じ轍を踏むことになるわけですが、今回は、軍事的側面・国防という視点から考えてみます。
北朝鮮の金正恩指導部が数発の核爆弾と3桁の中距離ミサイルを保持していることは「周知の事実」といっていいでしょう。
金指導部の長期「生き残り戦略」は、大陸間弾道ミサイルの開発・実戦配備に全力を注ぎ、NYやワシントンを戦略核ミサイルの射程内に入れることにあるということも軍事・国防学の常識です。
彼らの当面の「生き残り戦術」は何でしょうか?
それは、長期の戦略的課題を達成するための時間稼ぎであり、米側からの奇襲攻撃を避けるだけの国防力・攻撃力の維持にあることも「公知の事実」でしょう。
今の北朝鮮指導部にとって、最大の戦術的攻撃力とは何でしょうか?
地上兵力と中・短距離ミサイルの物量的攻撃力以外に考えられません。
地上兵力(陸軍)と短距離ミサイルは対韓国戦には有効(?)でしょうが、対日・米戦には役に立ちません。
残された唯一の「近代兵器」中距離ミサイルをどのように外交上・軍事上活用するかが、今の彼らの最大の課題と推定できます。
そう考えた時、わが国の原発の再稼働は彼らの目にはどう映るのでしょうか。
金指導部にとって「トラの子」の核弾頭(?)は数発しかない、中距離ミサイルは数100発のオーダーで実戦配備されている。
このタイミングで、日本の原発を再稼働させることは、日本の原発に照準を合わせさえすれば、非核弾頭の中距離ミサイルを核弾頭ミサイル以上の「核爆発効果」が発揮できる「超近代兵器」に押し上げる「軍事上の効果」が期待できることになるわけです。
これを「国益・国防」に利さない行為、つまり、「利敵行為」と呼ばずして、何と称すればよいのかが言葉が見つかりません。
右翼も左翼も、国防族も護憲派も民族派も、今こそ、国をあげて、原発再稼働が国防上・地政学上、わが国に何をもたらすことになるのか、大いに議論すべき時だと信じて疑いません。
被災地の土地・建物・庭木・果樹園の樹木山林の立木等々の評価のあり方について、「原発賠償を考えぬく」(http://www3.plala.or.jp/kantei/baisyo22.html)というコラムを、この1年あまりの間に22回連載しました。
そのせいか、被災者だけでなく、全国の原発被災者を支援する弁護団からも多くの問い合わせや相談・鑑定評価の依頼を受けています。
当初は、東京電力の建物評価基準・手法では納得できないという相談が多かったのですが、最近は、自宅の庭として使っている部分の地目が「畑」となっているために、宅地の3分の1の「評価額」であり、どう考えてもおかしいという相談が多くなっています。
その他にも市街地に隣接する梨畑の評価が宅地の10分の1以下であったり、梨の木の評価について、東京電力から誠意ある回答が得られない・・・という相談も寄せられています。
いずれの相談も、現地をしっかりと調べれば、立場の違いを越えて、妥当な評価・納得いく賠償額の算定に到達可能な事案ばかりです。
双葉郡を中心にして、被災した建物は3万棟を超えており、宅地・農地・山林に至っては数10万筆になるわけですから、東電が一括評価・一括査定することは、当初から無理なことであり、個別・具体的な事情を十分に分かっている被災者・地権者の方々にとっては、とうてい納得できないケースが少なくないわけです。
原発事故の当事者である東京電力は原発賠償を支払う側であり、被災者は賠償を請求する側なので、その立場は正反対なわけです。
福島県内を中心にして、40年近く鑑定評価の仕事をしてきた者の責任として、「事実を並べて道理を説く」立場を貫き、公平・妥当な損害賠償額の評価・算定に全力をつくすことが自分に与えられた使命であると、つくづく思う今日この頃です。
人間の値打ちをはかったり決めたりする「モノサシ」は、結局のところ志の高さではないでしょうか。
細川元首相が原発ゼロの日本を目ざして都知事選に出たことや、小泉元首相が、連日街頭で原発ゼロ社会の実現を訴え続けたことは、「志の高さ」・「覚悟の深さ」というレンズを通してみるとよく理解できます。
二人の元首相に共通していることは、「退き際の潔さ」という点ではないかと、今までは思っていましたが、どうも、それだけではないようです。
本業、メシのタネとしては、不動産鑑定評価(目きき、値ぶみ)をなりわいとしていますが、最大の関心事は人間観察、つまり、人物鑑定・人物評価です。
高度に発達した「社会的動物」として人間を見た場合、身体的能力よりは、心的能力、例えていえば、志や覚悟といった外見からはなかなか見えないことが大切だと体験的に学んできました。
人物鑑定・人物評価のポイントは、その人の言っていることではなく、その人の行動・行為をよく観察することです。
口で言うだけなら、大抵の人は立派なことを並びたてることはできるようです。
問題は、「立派なこと」を実行できるか否かです。
二人の元首相は、原発ゼロの日本を目ざして、都知事選という現実の場で、実際行動を開始したわけです。
結果としては、956,063票で3位でしたが、お二人は原発ゼロを目ざす国民運動を今後も続ける覚悟のようですし、心ある国民はそれを望んでいます。
わが福島県では、現職の首長としては唯一、「原発ゼロ」を主張して圧勝した南相馬市の桜井市長も深い覚悟のできた人物とお見うけしました。
この11月には、わが県でも知事選挙が予定されています。
今のところ、手をあげる人は出てきませんが、水面下では様々な動きがあるようです。
都知事選では、原発ゼロを主張する細川・宇都宮候補の一本化工作は不発に終わりましたが、福島の知事選挙では、ぜひとも原発ゼロを目ざす統一候補を、文字通り党派を超えて実現させ、原発ゼロの日本に向かって一歩でも半歩でも進むことを切に願うものです。
そのためには、各党各派だけではなく、県内外の志のある「人物」も「覚悟」が求められている気がしてなりません。