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BSフジの8時代の報道番組を見ていて、大発見(私にとっての)をしました。
AI研究の第一人者といわれている、東大の松尾豊特任准教授の概要、以下のような解説です。
『人工知能をめぐる動向は次の三つに区分できる
・第1次AIブーム(1956~1960年代):探索・推論の時代
・冬の時代
・第2次AIブーム(1980年代):知識の時代
・冬の時代
・第3次AIブーム(2013年~):機械学習・ディープラーニングの時代
例えば、「ネコ」「イヌ」「オオカミ」の画像をコンピュータに見分けさせたいとき、従来のAIは人間が対象物を観察し「どこに注目すればよいか」という特徴を取り出してモデル化していた。
ところが、ディープラーニングによって膨大な量の画像をデータとして入力し、学習、出力を繰り返していくと、AIがそれぞれの特徴を学習し、画像に写っているのがネコ、イヌ、オオカミのいずれかをAI自体が“判断”できるようになる。
ディープラーニングによって、AIは「データから学習する」という新たな強みを手に入れたのだ。これは「50年来のブレイクスルー」だ。
「AIが人間の手を借りず、画像や映像に写っているものを認識できるようになる」。こうしたディープラーニングの特徴は「目の技術」と表現でき、AIが爆発的な進化をするきっかけになる。その理由は生物学にある。
地球が誕生してから45億年。生物の進化過程において、今から5億4200万年~5億3000万年前の比較的短い期間に、突如として現存する全ての生物の種が出そろう「カンブリア爆発」と呼ばれる現象が発生した。長年謎だったその原因は諸説あるが、古生物学者のアンドリュー・パーカー氏は「生物が目を持つようになったから」という説を提唱している。
目を持たなかった生物は「体に何かがぶつかったから逃げる」「ぶつけられたから食べる」といった行動しかできなかった。しかし、目を手に入れたことで生存率や捕食の成功率などが飛躍的に向上し、敵と出会ったときにも複数の戦略を取れるようになった。これによって生物が多様化して生物種が増えた――とされている。
松尾准教授は、ディープラーニングによってAIが目を持つようになり、まさにこのカンブリア爆発と同じことが機械やロボットにも起こるのではないかと予測している。』
以上が松尾准教授によるAIが目を持つことにより「カンブリア爆発」を引き起こすとの予測です。
私自身も、AIや進化論については大きな関心を持ち続け、当コラムでも書いています。
成長社会からの成熟社会への大転換期
進化論とビジネス
しかし、AIが「目を持つこと」で地球史レベルの大変化が起きつつあるという発想・発見には驚かされました。
目から鱗が落ちるとは、正にこのようなことを指す言葉ではないでしょうか。
BSフジ・「プライムニュース」のスタッフの皆さんに心からの敬意と感謝を表します。
国民の目と心を開かせ、日本と世界が道を踏み外さないよう・・・、これからもガンバッて下さい。
株式マーケットの関係者で自嘲の意味を込めて言われているのが「後講釈」という言葉です。
「結果がわかってから、もっともらしく説明を加えること」は本当のプロの間では侮蔑の対象でしかないようです。
〇〇評論家と称する多くの人の解説・講釈も、多くは後講釈に毛の生えたレベルです。
そう考えると、歴史学(歴史解釈学)などは、後講釈の集大成ということになりそうです。
さらにつけ加えれば、社会科学、特に経済学は後講釈・後知恵の精緻な集積といってしまっては、身も蓋もないことになるわけですが、真実でもあります。
人生設計・人生航路でもビジネスでも、現状の把握・分析と将来予測は必要不可欠なことがらですが、いずれも多くの困難と誤ちを伴うことです。
なお、社会科学・人文科学の名誉のために一言付け加えれば、たとえ、後講釈・後知恵だとしても、未来予測をするための手がかり・材料は、過去の出来事の解釈と現在の事がらの分析から得る以外に方法・手法がないことも、また確かなことです。
2年ほど前に話題になった、「21世紀の資本」(トマ・ピケティ著、みすず書房)も、世界20ヶ国の税務統計を過去200年以上にわたって集計・分析した結果をまとめたものです。
資本主義の分析という点では、150年前(1867年)にカール・マルクスが著した「資本論」(Das Kapital)が嚆矢ですが、資本論が画期的だとされるのは、過去と現状の分析にとどまらず、未来予測(近未来ではなく、遠未来についての予測)を大胆に試みた点にあるわけです。
「階級闘争」という切り口で人類史を分析し、階級・格差のない「共産主義」という遠い未来の「ユートピア」を描いてみせたという点からすると、未来学の元祖といえるのかもしれません。
30年以上前に、未来学が世界的に大ブームの時代がありましたが、今はあまり流行らないようです。
過去と現況の分析・検証を基にして、未来予測をするのが「未来学」の使命のはずですが、変動要因があまりにも多すぎることに加えて、激変・激動の速度が早過ぎる現代社会においては、「未来学」が置き去りにされているといったところでしょうか。
数日前に「時間かせぎの資本主義」(W・シュトレーケ著・みすず書房)という大著を読み終えました。2016年2月19日刊行ですから、我が国で翻訳・発売されて丁度1年です。
手に入れて読みだしたのが昨年の12月ですから、2か月余りかけて読破したことになります。
書名からも分かるとおり、今現在、世界で進行している「経済危機」を分析・解明し、その行く末を論じた労作であり、21世紀の勝ち組をめざす「経済人」にとっては必読の書ともいえるものです。
今年のメインテーマとして、繰り返し精読し、たとえ、勝ち組には入れなくとも、少なくとも、敗け組にはならないよう努力するつもりです。
追伸
「後講釈」をキーワードにして、近未来予測と遠未来予測の違いについて考えてみました。
近未来予測は文字通り、一刻先・一寸先に起きることの予想・予測です。しかも、それは命や金に大きく係ることであり、ナマグサイ世界のことです。
一方、遠未来予測は、将来こんなことが起きるのではないか・・・、こんな風な世の中になるのではないか・・・、といった、いわば、ロマンと願望の世界です。
鉄火場・相場・マーケット、いずれも超近未来の予測に振り回されるドロドロした世界ですが、予測が外れた場合、後講釈の一つぐらい、言いたくなる心情も分かる気がします。