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土地神話、原発絶対安全神話、小沢神話と、神様を持ち出すことがわが国民は大好きです。
65年前の今ごろは、皇国不敗神話は本気で信じられていました。戦況の絶望的な不利が伝えられても、必ず神風が吹くと信じ、ヒロシマ・ナガサキの惨禍でやっと目が覚めたわけですが、遅すぎました。
神話大好き論者に共通していることは、いずれも思考停止、つまり自分の頭で物事を考えたり、判断することを止めてしまうことです。
今は、明治維新、昭和の敗戦に次ぐ国難の時でしょう。
大震災・巨大津波・原発の暴走と国家が挑戦を受けているわけです。
今やるべきことは、指導部を交代させることではなく、失敗から学び、次の第二波、第三波に備えることのはずです。
衆議院での不信任案の審議を聞きながらこの原稿を書いています。
幸い、菅直人総理の「勇気ある決断」で不信任案は否決され、解散・総選挙は避けられそうです。
与党も野党も連続当選10数回……などという「大物政治家」が大手を振ってまかり通っているようです。
大物政治家といわれる方々の言動も二つの目でよーく見てきたつもりです。
選挙に強い……、これが唯一の特質・長所だと言ってしまっては……、お終いでしょうか。
小沢一郎という政治家から、利権と金権ををとり去ったら何が残るのでしょうか。
これから展開される「政治ドラマ」の中で、小沢一郎氏がどんな役割を演じるのか……、冷めた目で注目しています。
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リスクへの対応が大きな問題としてクローズアップされています。
大震災と巨大津波、加えて福島第1原発のメルトダウンと想定外の巨大リスクが現実化・表面化しました。
私は、30年ぐらい前からでしょうか、リスクへの対応について一つの「原則」を守ってきました。
それは、「意味の無い危険・リスクに身をさらさない」という単純明快なものです。
「歩道の無い道路は歩かない」「自転車で車道は走らない」「酒癖の悪い人とは酒食を共にしない」「雑魚とは争わない」といった程度の簡単な「行動原則」です。
20年程前のことです。初雪の降った朝、自宅近くに住む従業員の車に便乗して会社に向かいました。
うっすらと雪の積もった飯坂街道は通学する高校生の自転車が連なっていました。
初雪とあって、冬タイヤに替えていない車も多く、自転車も車も、お互いに用心深く、ノロノロ運転をしていました。
車中の会話で「こんな朝に、自転車で登校を認める親の気が知れない。自転車に乗る高校生自身も“意味のない危険”に身をさらして、幼稚に過ぎる……」といった話をしていました。
「並行して走る自転車は、突然転倒するとの前提で運転しなければ……」などと話している最中に、目の前の女子高生の自転車が転倒しました。
幸い、こちらの車冬タイヤに替えていたことと、心の準備ができていたので、何事も起きず、女子高生はすぐに起きあがりました。
会社に着くまでの20分程度のあいだ、「意味のない危険・リスクに身をさらさない」ことについての会話が続きました。
目の前で起きた大きな危険を回避できた安堵感からでしょうか。運転ていた女子社員は、次々と私に質問を投げかけてきました。
それでは、「意味のある危険、リスクを取ってでもやらなければならないことは、何なんですか?」という突っ込みです。
それまで、何人もの人と同じような話をしましたが、「意味のある危険、リスクを取ってもやるべきことは何か?」と正面から問われたのは初めてでした。
一瞬、ウーンと唸ってから答えました。「体を張って、生命をかけてでもやることは何か」その答えは、その人の人生観、使命感によって違ってくるのではないか……。私の信条としては、人の命を天下の大勢に関わることは……、どんなにリスクが大きくとも、体を張ってでも……、逃げることはしない……。といったものでした。
今、福島第1原発の現場で働いている関係者は、文字通りの命懸けの作業をしているわけです。その人たちの心と体を支えているのは、自分達がやらければ……、という使命感と誇りではないでしょうか。
使命感と誇りを持って仕事に取りくむことの大切さを、今回の大震災は教えているように思えてなりません。
晴耕雨読、つまり晴天の日には農作業などの屋外作業に従事し、雨の日は読書に勤しむことは、古来、理想的な日常生活のあり方を示す言葉として使われてきました。
かつて、読書は知識修得の最大の手段であり、その他には、他人の話から知識を得る「耳学問」があるぐらいでした。
ところが、この100年ぐらいの変化でしょうか。新聞、雑誌、電話、ラジオ、映画、テレビ、インターネットと知識修得・情報収集の手法・手段は多様化し、量的にも質的にも大変化を遂げました。
この大変化の結果、理想とする日常生活のあり方も、大きく変わったのではないでしょうか。
読書が知識修得の主たる手段であった時代、屋外作業、現場作業が主要な「労働・仕事」であった時代にあっては、雨の日だけの読書=知識修得で間に合ったのかも知れません。
しかし、現在は情報洪水、情報爆発の時代です。情報収集、知識修得を雨の日だけに限っては、まちがいなく敗け組の仲間入りです。
しかも、知識修得の手段は読書よりも新聞、ラジオ、テレビ、インターネットへの依存が強まっています。
晴れた日も畑に出るのではなく、屋内で情報を集め、知識を磨かないと時代の変化にとり残されてしまう時代になったわけです。
仕事の内容も大きく変わりました。体を使って肉体労働から、頭を使っての知識労働へのシフトが大きく進んだことです。
こんな「時代の変化」が「晴読雨読」を強いているのでしょうか。
今朝のニュースは、福島原発1号機は実はメルトダウン(炉心溶融)だったと一斉に報じています。雨に日だけでなく、晴れた日も外に出るのが気懸かりです。
いよいよ、屋内にこもっての「晴読雨読」の時代になるのでしょうか。何か心配です。
追伸
約1年にわたり書き進めてきた「ネット不動産フロンティアノート」がFDJ社から電子書籍「実践!ネット不動産の作り方と未来」( http://www.fdj.com/semi_book/ )として出版されました。
不動産を探しているお客さまにも役立つように、不動産仲介業の現状や問題点についても分かり易く書かれています。ぜひご参照下さい。
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