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数日前の福島民報新聞の「民報サロン」に、大玉村にお住まいの行政書士の方が書いた「無料でいいんですか?」という随筆が載っていました。
 
 この方は、事務所の入口に「相談は無料です」との看板を掲げて、「行政手続」「土地関係」「金銭貸借」「相続」「家庭内問題」と幅広く近所に住む人の相談にのっている方のようです。
 
 相談を終えたお客さまの多くは、「・・・あれだけ聞いて、教えてもらって、無料でいいんですか?」と聞くそうです。
 
「採算とれるんですか?」「ボランティアですか?」「無理してないですか?」と心配されることも多いとのことです。
 
「行政書士」という知的サービス業は、「口コミ広告」が唯一・最大・最も有効な「広告手段」なのだそうです。
 
その時の相談料は無料でも、相談に来たお客さまが、その行政書士事務所の宣伝部長、営業部長として、広く世間に伝えてもらえるので、結果としては安い「広告料」だということでした。
 
私も、不動産鑑定士として40年近く仕事をしてきましたが、相談料を受け取ったことはほとんどありません。
 
自分の専門知識や経験が、お客さまの役に立つ、世の中のために少しでも役に立つということは、金銭に代えられない「満足感」があるからです。
 
「不純な動機」としては、無料相談で得るものがあったお客さまが、わが社の「営業部長」として大いに活躍してもらうことを期待していないと言っては、ウソになります。
 
いずれにせよ、「無料相談」なり「無料査定書」なりで、世の中に「貸し」を多くつくれば、いずれの日にか、その「貸し」は数倍になって戻ってくることを体験的に理解しているということも理由の一つです。
 
「情けは人のためならず」という言葉を、母親から何度も言い聞かされたことがなつかしく思い出されます。
 
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昨日、10月16日は父の命日です。
 
父は66年前、昭和20年(1945年)10月16日、インドネシア・ジャワ島のスマラン市で没しました。
 
日本の敗戦(ポツダム宣言受諾)がその年の8月15日ですから、戦後に「戦死」したことになります。
 
太平洋戦争の戦勝国であり、旧宗主国であったオランダ軍の上陸・再占領に備えて、インドネシアの独立を目ざす勢力が、日本陸軍の武器・弾薬を手に入れるべく決起した「スマラン事件」で殉難したわけです。
 
軍属としてスマラン市の鉄道運行に係わっていた父は、独立を目ざす決起部隊に連行される際に、「話せば分かる」と自ら進んで「人質」となったと人伝に聞いています。
 
五・一五事件(昭和7年)の犬養毅首相が海軍青年将校団に襲撃された時の言葉が「話せば分かる」だったことは有名ですが、その当時は、どんなに敵対する相手であっても「話し合えば分かりあえる」という社会通念・共通認識があったのでしょうか。
 
殺気立つ将校らに囲まれながら犬養総理はその名の通り、「毅然」と対応し、「話を聞こう」と応接室に案内したと伝えられています。
 
総理官邸に裏口から侵入した一団が、「問答無用、撃て」と銃撃したと伝えられています。
 
政治家たるもの、一国の指導者たるものは、常に命を懸ける覚悟が求められるわけで、その覚悟さえあれば、どんな場面でも平静に対応できるということでしょうか。
 
父は中部ジャワ陸輸局の同僚ら50人と共に連行され、対オランダ独立戦争に備えるべき「武器・弾薬争奪戦」の犠牲となったようです。
 
連合国に無条件降伏した日本軍の武装解除を、オランダを含む連合国側が行うのか、独立戦争に備えて、インドネシア側がその前に日本軍の武器・弾薬を手に入れるのかをめぐって、鋭い対立と大きな行き違いがあったようです。
 
死を前にして、「人質」として収容された部屋の壁に「大義に死す 大君万才」「インドネシアの独立を祈る 万才」と血書が残されていたということです。
 
立場は違っても、どんなに追いつめられた状況でも、民族の独立、インドネシアの独立という大義の立場を貫き通したこの「人質一同」は立派であったのではないでしょうか。
 
私の父も、その一員であったことを心から誇りに思います。
 
事件から半世紀すぎた1990年代の後半になって日本・インドネシア双方の関係者の努力でスマラン市郊外に「鎮魂の碑」が建立されました。
 
いつの日か、スマラン市を必ず訪れ、日本に残された5人の子供と妻は、戦後の混乱期をしっかりと生き抜いたことを報告するつもりです。


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「幾度も聞くよりは、一度実際に見る方がまさる」という意味で、出典は漢書「趙充国伝」とありますから前漢の時代、紀元前200年頃の言葉です。
 
新聞、テレビ、ラジオ、インターネットもなかった時代のことですから、情報は主として人の話として伝わったわけです。
 
当然のことですが、人から人へ伝わるうちに内容も不正確になり、場合によっては正反対な情報となることもあり得たわけです。
 
そういった事情・「情報伝達環境」を反映した言葉として、人づての話を100回聞くよりも、1度現地で実際に見る方が、ずっとよく分かりますよということだったのでしょう。
 
インターネットがこれだけ普及し、メールや電話・FAXも頻繁に使われるようになった今の時代、百聞は・・・ではなく、十聞は・・・ぐらいに変わったのではないでしょうか。
 
不動産の物件情報収集ということに限っても、ホームページでかなり細かいところまで見ることができるようになりました。
 
現地に実際に行かなくても、写真や動画で手に取るように理解できるホームページも少なくありません。
 
しかも、地図上に所在地を表示し、地番やマンション名も明示することで、お客様がその気になれば、仲介業者の案内なしで現地も見られるような配慮をしたホームページもボツボツ出てきました。
 
当社のホームページも、地図上の表示はもちろん、地番やアパート名、マンション名も明示しています。お客様が、その物件に関心があれば、自分の都合の良い時に見に行けるようにするためです。
 
ホームページで何枚もの写真を見ても、やはり現地を見なければ分からないことは多いわけです。ましてや、一生住むことになる住宅の場合は、晴れた日、雨の日、朝、夜、日中と最低5回は現地を実際に訪れることが大切だと言われています。
 
そして、やはり建物の中も見たいという気持ちが強くなったら、当社にご連絡下さい。当社のスタッフが、お客様の立場に徹して、内部の隅々までご案内します。
 
物件の良い面ばかりでなく、マイナス面(もし有ればですが)も含めてよく説明し、不明な点があれば、よく調査して後日報告いたします。
 
物件探しのガイド役として、当社のスタッフの姿勢・力量をぜひ試してみて下さい。
 
百聞は一見に如かず、当社のスタッフを一見して、実際に会ってみて、ぜひお客様の感想・評価をお聞かせ下さい。
 
お客様の声を励みとして、一層の努力を続け、「おもてなし」の心と技に磨きをかける一助とさせていただきます。
 
 
 
 
 
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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