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小沢一郎氏の率いる集団が、今日、旗あげするそうです。
 
 「国民の生活が第一」という至極当たり前のことを命題にするそうですが、国民の生活が第一ということの、具体的な中味は何なのでしょうか。
 
 「平和が最も大切だ!」ということは誰にとっても異論のないことですし、当然至極のことですが、そのことを叫び続けたとしても政治家は務まりません。
 
 「国民の生活が第一」と愚直に繰り返すだけで、政治が展開できるのであれば、政治家ほど気楽な仕事・商売はないでしょう。
 
 人間の評価、特に政治家の評価は、どんなことを言っているかではなく、何をやっているか、つまり、その行為・行動で評価されるのは、イロハのイです。
 
 国家・国民が大震災と原発事故で困難に直面している時に、最も卑劣な行動をとったと報道されても、何ら反論できない政治家が、この国で生きのびられるとは、とうてい思えません。
 
 さっさと政治家をやめて、「自分の生活・命が第一」と正直に主張して、一市民として生きる道を強くお勧めします。
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15年程前でしょうか。2泊3日で秩父盆地を旅行したことがあります。
 
 温泉に入ったり、古道具屋を覗いたりしながらゆったりとした時間を過ごしました。
 
 予備知識は全くなかったのですが、「秩父困民党無名戦士の墓」に出会いました。
 
 b77853e3.jpeg
  
    「われら  
    秩父困民党
    暴徒と呼ばれ
    暴動といわれることを
    拒否しない」
 


 「困民党」という言葉は初めて目にしたので、その意味することに思いを巡らしました。
 
 自由民権運動や福島事件、加波山事件は、三春町の歴史民俗資料館を訪れた際に学ぶ機会があり、深い感銘を受けたことを記憶しています。
 
 広くとらえれば、秩父事件も福島事件も加波山事件も、近代日本の民主主義の原点となった「自由民権運動」の一環とみることができそうです。
 
 しかし、「秩父困民党」を中心に「決起」した秩父事件は、なぜか、日本近代史から抹殺されてきたようです。
 
 「困民党・・・」という表現はどこから生まれたのかを考え続けながらの秩父盆地巡りとなりました。
 
 1871年のパリコミューンについては、一定の知識を持っていたので、その13年後の1884年の困民党という命名は、「コミューン」の当て字ではないかと閃きました。
 
 丁度、インターネットを導入した時期でしたので、会社に戻ってからネットで調べてみました。「秩父困民党」・「パリコミューン」というキーワードで検索したところ、2~3件が関連ありと表示されたと記憶しています。
 
 今、同じキーワードで検索すると817件検出されます。秩父事件がわが国レベルでもタブーではなくなり、評価が変わったことに加えて、インターネットの普及により情報の発信量が飛躍的に伸びた結果でしょう。
 
 インターネットは、主義主張・思想信条や立場の違いを乗り越えて、コミュニケーションの可能性を広め、かつ、深めたことを痛感します。
 
 そういえば、コミューン(生活の共有)とコミュニケーション(情報の共有)とは言葉としてだけでなく、内容でも共通性を多く持つ関係にあることに気づきました。
 
 いつものことですが、気づくのが遅すぎます。
東日本大震災、福島第一原発のメルトダウン、ギリシャの国家破産、近年、想定外と思われていたことが次々と起きています。
 
 6~7年前のことでしょうか。ライブドア社長のホリエモン氏が「想定の範囲内」という言葉を連発して世の中を賑わせ、結果的には、想定外の有罪判決で塀の内側に落ちてしまいました。
 
 なぜ「想定外」のことが次々と起きるのでしょうか。その理由、原因について考えてみました。
 
 第一の理由は、「想定の範囲」つまり、想定のワクの設定が小さすぎたということです。
 
 東北地方沖の地震は最大でもマグニチュード8以下であり、津波の高さも5メートル程度との想定・予測をしていたわけです。
 
 この想定・予測が大甘であり、大マチガイであったことが、多くの犠牲を払って初めて学んだことです。
 
 第二の理由は、想定条件や想定する現象そのものを間違ってしまうケースです。
 
 人間の知識や経験は、大自然・大宇宙の前ではまだまだ「初歩的」な段階にあるという謙虚な姿勢を忘れて、「何でも分かっている」、「何でも解決できる」との思い上がりがもたらすことではないでしょうか。
 
 「学校秀才・受験優等生」レベルの「人材」が大手を振って世の中をリードできた時代は、とっくの昔に終わっているのです。
 
 電力業界も含めて、原子力ムラの住人といわれる人達はまだまだ反省が足りないのではないでしょうか。
 
 反省が足りないという点では、小沢一郎という男ほど「反省」と縁遠い人はいないようです。
 
 目先の利害・損失は声を大にして主張するようですが、自分の過去の言動や主義・主張は都合よく忘れてしまうようです。
 
 国民は小沢氏が思っているほどバカではないのです。真っ黒に汚れた手を振り上げて、どんな立派なことを主張しても、国民はその真っ黒に汚れた手をちゃんと見ているのです。
 
 小沢一郎という「政治家」から、金権と利権を取り除いたら何が残るのでしょうか。ぜひ見てみたいものです。
 
 小沢一郎氏の想定を超えて、世の中はどんどん進んでいくでしょうし、ぜひそうあって欲しいと願っています。
 
 この「想定外」は大歓迎です。
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高橋雄三
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職業:
不動産鑑定士
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