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 ニューヨーク発の金融危機は、世界同時不況のヒキ金を引いたとみられています。年号が平成に変わってまもなく、株式と不動産バブルがピークを迎え、株価は日経平均で38,915円(’89年12月29日)、わが国の土地価格の総計額はGDPの5倍に達しました。それが株価は8,235円(12月12日日経平均終値)、土地価格総額はGDPの2倍強まで下落したわけですから、平成バブルの崩壊がいかに厳しいものであったかが分かります。そんななかでも、米国のITバブルや住宅バブル、さらにはBRICs諸国の台頭などを追い風にして輸出中心に年率2%前後の経済成長をとげてきました。

 
ところが、これから予想される世界同時大不況は、いささか勝手が違うようです。頼みの綱とする輸出があてにできないだけでなく、わが国の得意技であった財政出動による「大型公共事業」も期待できないからです。いくら選挙を目前に控えているからとはいえ、1,000兆円を超える公的債務の存在を考えれば、これ以上の借金による公共事業の大盤振る舞いは破滅への道です。
 
残された道は、20年も前からいわれていた民間の力による「内需振興策」(1986年前川レポート)です。その前川レポートの柱の一つが、住宅関連産業の拡大・振興という位置づけです。たしかに、私たちの日常生活は、衣・食・住のうち、住を除いては充分に満たされています。その住についても広さや質に目をつむれば、数という面ではすでに全世帯数を600万戸も上回る住宅戸数をわが国は保有しています。問題は、住宅の広さと質・耐久性にあります。
 
政府・与党は「100年住宅」を推進すべく税制面で強力にバックアップすることを考えているようですが、はたして効果はあるでしょうか。10年間で600万円の税額控除を満額受けられるとしても、予想される「世界大不況」を前にして3,000万~4,000万円のローンを組むことは正解でしょうか。はなはだ疑問です。正解は、築後15年程度の良質な中古住宅を厳選して購入し、子供の教育資金や老後に備える資金に余裕を持たせることではないでしょうか。
 

  幸い、福島では、広さも耐久性も申し分のない良質な中古住宅がかなりの量が売りに出されています。これからもかなりの数の良質な中古住宅が流通市場に出てくるものと予想されます。この中古住宅市場の活性化も内需拡大の有力な柱の一つであり、日本経済の再生、活性化の大きな柱になるものと期待しています。

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 「100年住宅」、「200年住宅」という言葉を最近よく耳にします。福田前総理が永く会長を務めている自民党住宅土地調査会が以前から提唱している構想です。
 
 ○ まず地盤をしっかり調査し、100年に一度の地震にも耐えられる基礎工事を行うこと。
 
 ○ 住宅の使用部材の耐久性基準を厳格にして、100年、200年の使用に耐える住宅とすること。
 
 ○ 風呂・トイレ・キッチン等の給水、排水等を伴う水回りについては、20年~30年での交換・修理を容易に行える設計とすること。
 
 ○ 断熱性、気密性、遮音性の基準を厳格にし、特に外壁については、四季の変化に加えて梅雨時もあるという日本固有の厳しい自然条件に耐える資材を開発・使用を義務づけること。
 
 ○ これから新築される住宅については「住宅履歴書」を義務づけること。その内容としては、設計図や施工図、工程の記録や写真、使用建材や設備機器の情報、入居後の維持保全歴など、住宅に関する資料・情報を各住宅別にまとめたものとする。
 
 この「200年住宅」構想が実現すれば、日本の中古住宅流通は将来的に根本から変わるのではないかと期待されています。しかし、これによって中古住宅の流通市場が変わるのは20年後、30年後であって、「平均寿命」30年の耐久消費財といわれている今の中古住宅流通市場が急に変わるわけではありません。
 
 はっきり言って、今の中古住宅流通市場は玉石混交の世界です。築後40年近く経過しても、腕の良い大工さんが選りすぐった材料を使って建てた住宅は、あと50年は十分に使えるものも少なくありません。
 築後20数年でも、「大量供給」の建売住宅などには文字通り「耐用年数」を過ぎたものもみられます。
 
 問題は、「玉石混交」の中から「玉」を見分け、選び出すことではないでしょうか。逆の面から見れば、「石」は石として見分け、石にふさわしい値付けをすることが、いま求められているともいえます。
 
 以前にもご紹介しましたが、東京と大阪に事務所を持つさくら事務所の「ホームインスペクション(建物調査)」がいま注目されています。昨年比で226%もの中古住宅調査の依頼を受けているそうです。
 
幸い、当社にも建物調査の仕事に10年近く携わってきたスタッフがいますので、「日本ホームインスペクション協会」の正式メンバーとして参加し、福島でのマンションを含めた中古住宅の流通の活性化に役に立つべく準備を進めています。値付けのプロである不動産鑑定事務所が、「建物調査」の技術力を向上させることで、お客さまの中古住宅取得の際に一層お役に立てるものと確信しています。
 
 そんな努力を業界全体として取りくむことで、わが国の住宅が「耐久消費財」から文字通りの資産としての役割を果たせる日が一日も早く実現することを願ってやみません。

 

丁度49年前の今日、1959年11月27日、日米安保改訂阻止のデモ隊は国会議事堂前の広場を埋めつくしていました。その数およそ2万人。都内各大学から参加した学生は1万人ぐらいだったでしょうか。血気盛んだった自分も全学連のデモ隊の中にいました。
 
前夜、早稲田大学全学共闘会議の拡大会議が「極秘」に開かれ、国会包囲デモの作戦・戦術が決められました。早稲田大学からは1,000人程度の学生を動員し、地下鉄「国会議事堂」駅から、警備する警官隊の背後をつく「奇襲作戦」で警備陣を撹乱する。相手側の混乱に乗じて、国会正面広場まで進み、「日米安保改訂阻止」の大集会を「成功」させるといった「極秘作戦」だったと記憶しています。
 
開通して間もない地下鉄の駅から1,000名を超える学生デモ隊が突然警備陣の背後に現れるという「奇襲作戦」は図に当たり、警備陣は「混乱」したかに見えました。しかし、相手側はさすがはプロ集団、ただちに隊形を整えると国会正門前に通じる道路に阻止線を張りました。
 
しかし何か様子が変でした。普段なら、ヘルメットに盾、乱闘服で完全武装している機動隊が前面に出てくるはずなのに、その日は制服、制帽の「お巡りさん」が隊列を組んでいたのです。しかも何となく田舎くさいし、年齢も父親に近い感じで、デモ隊側もホットしたというか、親近感を覚えるような警官隊でした。
それもつかの間、国会前広場目ざして強行突破しようとする学生デモ隊と警備陣は、押し合い、もみ合いの小競り合いを繰りひろげました。
 
そんな時です。自分の靴が何か変なものを踏みつけたことを感じとりました。学友とのスクラムを解き、足もとの異物を拾いました。何と本物の拳銃が落ちていたのです。一瞬、これは「ワナ」「謀略」ではないかとの思いが頭をよぎりました。しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐに大声で目の前の警官隊に呼びかけました。
 
「オーイ、大切な商売道具を落としたのは誰だー!」
「拳銃を失くしたらクビになるゾー!」
 
ムキ出しの拳銃を高くかかげながらの呼びかけに目の前の警官隊は、皆が自分の腰に手を当てて「確認行動」をとったようです。落とし主はすぐに現れました。すぐ近くにいた50代の田舎のオジサン風の警察官が、「自分が落としたらしい」、「ありがとう」と小さな声で言って手を出してきました。学生と警官隊の間に、ほんの一瞬でしたが、和やかな雰囲気が流れました。
小競り合いも小休止となり、警備陣とも私的な会話が交わされました。埼玉県警から急遽派遣された混成部隊で、普段は交番勤務の普通の「お巡りさん」が大部分とのことでした。
 
その後学生を中心としたデモ隊は国会議事堂の中庭に「乱入」し、翌日の新聞では散々たたかれました。この「国会構内乱入事件」も何か謀略のニオイがする事件でした。
 
50年も前のことを書く気になったのは、若気のいたりという側面はあったにしても、時代が問いかけている問題に真正面から向き合い、決して逃げなかったというその姿勢だけは、今でも間違っていたとは思いませんし、むしろ誇りに思っているからです。
この歳になって、自分が体験したことも含めて本当の思いを、本音で語り、書き残しておくのも良いのではないかという心境になりました。
 

「本音言三」これからも発信を続けます。自分の学生時代のことは「悪行」も含めて個人のホームページ(http://www10.plala.or.jp/tika-infre/toukanannai.html)で公開しています。ご笑覧下さい。

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プロフィール
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高橋雄三
性別:
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職業:
不動産鑑定士
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