忍者ブログ
[75]  [76]  [77]  [78]  [79]  [80]  [81]  [82]  [83]  [84]  [85
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

わが国では、不動産仲介業はいつ頃から、どんな形で始まったのか。長いあいだ関心を持ちつづけていました。
 
実は、このテーマはわが国の土地所有制度(誰が所有できるのか、所有権は保証されているのか、自由に利用し、売買できるのか等々)と関わりが深いので、関係ありそうな資料や文献は昔から集めてはいました。
 
今、仲介業のあり方が大きく変わろうとしています。インターネットの普及と「消費者主権」という考え方の強まりです。
 
いつか、時間ができたら読んでみようと集めた資料ですが、結局読まず終いでした。そこで、思い立ち、手っ取り早くインターネットで調べてみました。
 
Yahooで「不動産業・ルーツ・高利貸し」と入力してみました。高利貸しというキーワードを使ったのは、ごく最近まで、金貸し(街金も含めて)と不動産仲介業が近い関係にあったことを経験上分かっていたからです。
 
インターネットは本当に便利なものです。
 
645年の「大化の改新」の頃には各地の地図が制作されたらしい制作されたらしいこと。
 
秀吉の「太閤検地」のときには、田・畠・屋敷の一筆ごとに、その地字・等級(上中下)・面積・地目・名請人・石高・検地奉行名が記載され、今の土地登記簿より詳しいものが作られたようです。
 
江戸時代には「口入屋・桂庵」といわれ、「丁稚・小僧・人夫・女中」などをあっせんする「民間職業紹介業者」がいましたが、かれらが、副業として「土地建物の紹介・仲介」を行っていた。………というのが不動産仲介業のルーツのようです。
 
江戸幕府は、農地については「田畑永代売買禁止令」をもって売買を禁止していましたが、市街地に限って、売買を認めていたようです。
 
この売買自由の土地が「沽券地」と称された土地です。この売買証文は、年寄・五人組が連名で署名・捺印し、「沽券」と呼ばれていました。今風にいえば、「権利証」ということでしょうか。
 
ところで、今年2月の大学入試センターの国語の試験に「沽券にかかわる」が出題されました。
 
次のうち正しいものを一つ選びなさいという問題です。
 
沽券にかかわる
 A.自分の今後の立場が悪くなる
 B.自分の守ってきた信念がゆらぐ
 C.自分の体面がそこなわれる
 D.将来の自分の影響力が弱くなる
 E.長年の自分の信用が失われる
 
正解はCのようです。
 
日常的にはあまり使われない言葉ですが、不動産業のルーツをさかのぼり、語源や意味を考えると以下のように解釈できます。
 
「沽券」=土地や建物に関する大切な証文。
       ↓
「沽券」を持っている=資産家
       ↓
資産家=社会的な地位が高い
       ↓
社会的な地位が高い=面子や体面を大切にする
 
こんな論理展開で「沽券にかかわる」という言葉が、江戸時代からかなり広く、一般的に使われていたようです。
 
不動産仲介業者の一人として、文字通り「沽券」に関わっているわけですから、取引の安全のためには細心の注意を払い、全力で努力するのはあたりまえのことです。
 
「ついうっかり」とか「思い違いをした」などの言い訳は通用しません。それこそ「沽券にかかわる」ことだからです。
 
PR
 仕事をする時の心構えとして、まず相手の立場に立って考えてみることが大切だということがよく云われます。
 
自分の立場や自分の利益は考えるまでもなくよく分かっているはずのことです。自己の考え方や判断基準が客観的にみて間違っていないか否か、道理に合っているかを検証するために、相手の立場に立って考えてみることが重要だと説いているのでしょう。
 
これに加えて、「他人の痛み」の分かる心を持つことの大切さを痛感させられることが最近多くなりました。
 
派遣切りやリストラが連日報道され、世界不況の先行きが見えない世相を反映してか、ギスギスした人間関係が目立ちます。自分の生活を守ることに精一杯だからでしょうか。
 
自分の痛み、自社の痛み、自国の痛みはだれにでも分かります。その痛みを声高に訴えることも時と場合によっては、大いに必要なことでしょう。
 
しかし、その前提として相手の痛み、相手に与えた痛みが分かってこそ、世界で通用するのではないでしょうか。仕事の基本、信頼関係の根源はそこにあるのではないでしょうか。
 
世界的な不況のせいでしょうか、不動産業界にも景気の良い話は聞かれなくなりました。けれども、住宅を求めている人がいなくなったわけではありません。
 
家族構成の変化や転勤の為に持ち家を手放す人もいますし、求める人も又、いるわけです。
 
たしかに、将来不安が拡がるなかで、土地を求めて住宅を新築する人は、はっきりと少なくなっています。
 
しかし、手頃な価格で手に入る、中古住宅や中古マンションを探している人は少なくなってはいないということを仕事を通して実感しています。
 
このような時代背景にあって、仲介業者の果たすべき役割ははっきりしてきたと思います。
 
まず、お客さまの立場に立って、なるべくお客さまのフトコロの痛まない物件の提供に全力をつくすこと。自社の都合や自社の利益だけで仕事をするのではないという立場を明確にし、お客さまにもそのことを分かっていただくことにつきると考えています。
 
お客さまの悩みや痛み、迷いも分かりあえる、そんな社員であり、会社であることを目ざして努力を続けます。
 
 ホームページに不動産と人生についてのコラムを載せはじめて1年半が経ちました。
 
 最初は、不動産鑑定士としての経験や蓄積をテーマにして書いていたのですが、回を重ねるうちに人生経験や人生観についても書きたい気持ちが強くなりました。
 
 そんな気持ちを反映してか、最近は自分が若かりし頃の失敗や「馬鹿な行い」についても素直(?)に書けるようになりました。
 
お付き合いいただく皆さまには、押しつけコラムだったり、迷惑コラムだったりすることも多いのではないかと、反省しています。
 
 コラムに限らず、文章を書くときは、まずテーマを最初に決めます。「つれづれなるままに、日暮し、硯に向いて…」の書き出しで始まる「徒然草」の作者、兼好法師のように才能と時間に恵まれた人は別として、普通の人はテーマが決まってから書き始めるのが普通でしょう。
 
 私の友人であるNHKのY記者もやはり「普通の人」のようで、放送原稿を書くときは、まずテーマを決め、取材を重ねて、最後に文章化する仕事を連日続けているようです。
 
 そのY記者が昨秋、県文化センターで催された「福島県美術家協会展」に取材に訪れた時のことです。
 
 「県美協会」の会員でもある私の妻がたまたまその時の受付当番だったので、Y記者の案内係をつとめたとのことでした。
 
 Y記者は、目立つ作品の前に立つと、何でこの絵にはこのテーマが付くんですかとしきりに聞いたそうです。
 
 大樹の根元を描き、「県知事賞」を受賞した「新生」という画題(テーマ)が付いた油彩を前にして、何でこのテーマが付くのかを解説して欲しいとのことでした。
 
 画歴30余年の私の妻も、とっさに何と答えてよいのか分からず、「おそらく、この絵を描いた人は、まずテーマを考えてから描きだしたのではなく、その大樹の根っこを見ていて、描きたくてしかたがない何かが湧きだしてきて夢中で描いたのではないでしょうか」と応えたそうです。
 
 数日前、スカイライン開通のテレビニュースにY記者の元気な姿が出た時に話題になった折のことです。
 
 そこでハッと気が付きました。文章はまずテーマが決まってから書き出しますが、絵画は表現したい、描きたい心がまず第一にあるのではないか。表現したいという衝動、感情、インスピレーションが絵を描かせるのであって、完成した絵に後からつけ足しで「テーマ」が付くのではないかということです。
 
 ゴッホの「ひまわり」にしろ、ロダンの「考える人」にしろ、本人がそんな題名をつけたものではなく、作品の展示、分類、整理、区分上の必要から、後で付けたものでしょう。
 
 以上は、画歴30余年の妻からの受け売りです。私は絵の世界、色の世界は全く門外漢ですが、文章表現と絵画(美術)表現の違いが少し分かったような気がします。
 
 本音のコラムは、書きたいテーマを手帳の末尾に書き留めていますが、今日現在、57件ほど残っています。しばらくお付き合いのほどお願いします。
<< 前のページ 次のページ >>
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
自己紹介:

アクセス解析
忍者ブログ [PR]