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中国四川省大地震の救援活動は「時間との戦い」といわれていました。残念ながら中国の指導部はこの戦いに勝てなかったようです。あたりまえのことですが、人民解放軍は非常事態に備え、災害時でも戦時でも使える通信手段を確保しています。中国共産党直属の軍隊ですから党中央の指導部に直ちにかなり正確な情報が届いていたでしょう。温家宝首相が直ちに現地入りしたことからもこのことは裏付けられています。なのに救援活動では後手後手となり成果は上がっていないようです。
予想を上回る規模と強さ、厳しい山岳地帯に囲まれているという自然条件・・・数えあげれば救援活動の遅れの理由はいくつでも見つかるでしょう。伝えられるところによれば、学校などの公共建築物は「オカラ建築」と地元では云われていたそうです。建築資材をスリ替え、工事で手抜きをする。監督責任部門は見て見ぬふりをして私腹を肥やす。こんな構図が透けて見えます。
自然災害といえば隣国ミャンマーのサイクロンによる災害も予想をはるかに超える惨状のようです。20万人を超える死者といわれながら、当局から公式な発表はありません。
中国とミャンマー、共有しているのは1,000キロに及ぶ国境線だけではありません。片や一党独裁の国、一方は軍事独裁国家です。まさか天が独裁国家を懲らしめるために大型台風と大地震をもたらしたわけではないでしょう。一部の勢力や集団が長期間にわたって権力を私物化する独裁体制が、結果として自然災害への備えを弱体化させただけでなく、事後対応、救援体制の備えも不十分なまま放置されていたということでしょうか。
幸い、私どもが生活の場としている福島盆地は周りを山に囲まれているために、台風の被害は少ない地域です。前々回のコラムでもふれたように、地震の被害予測では日本一安全な都市です。「隣りの不幸はカモの味」といったレベルではなく、福島の良さを改めて考えさせられた出来事でした。
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あまり知られていないことですが、不動産業界、特に中小の仲介業者の世界は競争と協調・協力というルール、慣習が支配する世界です。一見矛盾するかに見える競争と協調というルールが結果として業界の近代化、活性化に役立っていることが開業3年目にしてようやく分かりかけてきました。
身近な例でいうとこんなことになります。売買仲介業者は、市内の売物件を一件でも多く獲得(売主・売物件を発掘し専任媒介契約を結ぶこと)するために知恵をしぼり、工夫を重ねて日夜努力しています。仲介業者どうしの競争関係という側面です。
かつては、売主様・地主様宅に日参し、宅地開発の同意書をもらい、開発・造成計画書を作成してハウス・メーカーに持ち込めば売買仲介業が成り立ったよき時代もあったと聞いています。今はそんな時代ではありません。売主およびその予備軍である一般の市民は仲介業者の日頃の仕事ぶりをよーく見ているといわれています。広告チラシ、業者の広告看板、インターネット経由のホームページ閲覧、口コミ等で業者の仕事ぶり、人柄、信用度をくりかえしチェックして、納得してようやく行動を起こすといわれています。
業者間の物件獲得競争は、実は信用獲得競争だと最近つくづく思うようになりました。お客さまの信用・信頼を得るために仲介業者どうしが公明正大に大いに競争すること、これは業界の活性化のためにも、不動産流通業界の近代化のためにも、世の中のためにも大いに役に立つことではないでしょうか。わが社も「適正な価格査定」の作成を最大の武器にしてこの競争に参加を続けるつもりです。
次に協調・協力関係という側面です。売買仲介業者は、持主・売主様から物件の売却依頼(専任媒介契約)を受けた場合、レインズ(国土交通省の指導の下に作られた不動産流通機構の物件登録システム)に物件情報を登録し、広く一般の仲介業者に公開して、物件の適正かつ早期売却に努めることを義務付けられています。
かつてのように、売物件の情報を一社あるいは仲間うちの数社で独り占めにして、買い客の現れるのをじっと待つという営業スタイルは原則としてなくなったとされています。
インターネット・ホームページによる物件情報の公開が日に日に進んでいる現在、物件情報を抱え込んでじっと来客を待つという営業方針の会社が、お客様の支持を得るとは考えられません。お客様の支持と信頼が得られるのは、第一に、より多くの物件情報をより速く、より詳細にお届けできる仲介業者だと信じています。
第二は、お客様の物件選びに始まって、資金計画、建築・リフォーム計画、取得時期選定など様々な悩みや困りごとに対してしっかりとサポートできる仲介業者でなければ信頼を得るのは難しいのではないでしょうか。
第三は、お客様にとって一生に一度の高額な買い物をするわけですから、価格の適正さ、物件の品質保証、取引の安全保障について十分な知識と経験に基づいてお客様のお役に立てる会社でなければ、お客様の支持は得られないのではないでしょうか。
物件情報は、広く業者間では公開され、どの仲介業者からでも情報入手は可能な時代になっています。業者間の情報の共有化・公開化は普及し、その意味では、業界の協調・協力体制は整備されているといえます。残された課題は、共有化された物件情報を基にして、物件を求めているお客様に対してどれだけお役に立てる会社に変身できるか、会社の体質改善、ひいては業界の体質改善が求められているのではないでしょうか。
不動産鑑定士という仕事は、個人や会社の所有する土地や建物を客観的な目で、つまり第三者の立場で鑑定(目きき)評価(値ぶみ)するものだといわれています。
私がこの業界に入りたてのころ、(財)日本不動産研究所仙台支所で修業していた頃のことです。日頃は、当然のこととして第三者の立場で仕事をしていましたので特に何も感じなかったのですが、中学以来の親友であるS君の母親が所有する仙台市郊外の土地を買い取って欲しいと頼まれた時は、第三者の立場、客観的な目で物を見るということの難しさをつくづく思い知らされました。
兄弟以上に近い存在であったS君の母親が、将来を夢見て購入した60坪程の土地。しかも、河川改修工事のために約30坪が買収され残り30坪の小画地になった上に、市街化調整区域(原則として建築不可)となってしまった土地でした。近くを名取川が流れ自然環境は良いのですが交通の便が悪く、近くには農家住宅が点在する辺鄙なところでした。唯一の長所・利点は、仙台市が計画していた地下鉄「南北線」終点の「予定駅」に近いことです。友人の立場に立てば、なるべく高い値段を付けてやりたい。しかし、借金の工面をして買う自分の立場からすれば、将来性も十分に見込んだ上での適正な価格で買うしかない。こんな相反する思いで悩んだことがなつかしさと共に思い出されます。
幸い、職場の同僚は皆鑑定のプロであったので、折りを見て意見を聞きました。建築不可の市街化調整区域、しかも30坪という狭小地。地下鉄の予定駅に近いといっても電車が動くまでは早くて10年、その後区画整理事業が立案・事業決定・造成に10年以上を要するとみれば、値段の付けようがないというのが大方の意見でした。結局、プロ集団の意見はあまり役に立たず、その土地の固定資産税評価額の2倍の値段(150万円)で買うことに決めました。幸い10年後に地下鉄は開通し、その15年後には区画整理事業も完成して、減歩(区画整理事業で道路・公園等にするための地積減少)の結果、約25坪の立派な(?)宅地に生まれ変わりました。
土地購入から25年を経てようやく役に立つ「物件」に変身したわけです。その後、わけあってその土地は手放し、福島市内の身近なところに中古のアパート(2K×6)を買い、収益物件の管理の難しさや収支の実態を実地で勉強しています。
これらの一連の取引について当事者として関わった経験は、不動産鑑定士としても、売買仲介部門の立ち上げの際にも大いに役に立つ知識やノウハウを教えてくれるものでした。その一つは、取引の当事者はどうしても心の冷静さを失いがちで、物事、いや「物件」を客観的に見ることができなくなるということです。
日頃から、不動産を第三者の立場で客観的に見ることに慣れているはずの私ですら判断に迷うわけですから、一生に一度の大きな買い物あるいは「売り物」をする立場に立たされた普通の人が大いに悩み、迷うのはある意味では当然のことでしょう。このへんのところに不動産鑑定業と不動産仲介業を兼務しているわが社の存在意義があるのかなぁ・・・などと勝手に解釈しています。
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
自己紹介:

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