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昨日の福島民報新聞に霊山の紅葉が見ごろを迎えたとの記事が載っていました。
 
私は高校を卒業するまで相馬市に住んでいたので、紅葉シーズンには霊山に何回か登ったことがあります。
 
最初に登ったのは小学5年の秋でした。仙台から姉の婚約者が来て、相馬の我が家の家族4人と合流し、バスで霊山のふもとの行合道まで行き、そこから約1時間かけて登った記憶があります。
 
切り立つ岩や奇岩の間を抜ける登山道からの景色は、私にとっては初めての体験であり、世の中には、変わった山があるものだという印象が残っています。
 
途中、たしか「物見岩」とかいった登山道から少し外れた場所で昼食のオニギリを食べました。
 
慣れない山道を登り、昼食をいっぱい食べたせいか、急に便意を催し、岩陰でコッソリと用をすませたつもりでした。
 
オニギリを包んでいた新聞紙で後始末をしたのですが、その新聞紙が、谷底から吹き上げる上昇気流に乗って空高く舞い上がっていきました。
 
岩陰でコッソリのつもりが、霊山の秋晴れの空に舞い上がり、みんなにバレてしまったわけです。
 
小学5年生の「運」を付けた新聞紙は上昇を続け、南東の空のかなたに飛び去ったのをはっきりと憶えています。
 
母親をはじめ、一緒にいた家族から、「雄ちゃん」は運が強い、将来「大物」になるかもしれないぞ……などと褒められ(?)て、悪い気がしなかったような気がします。
 
その時一緒に霊山に登った「義兄」も含めて、母親や兄弟達から、その時の話をよくされました。
 
「大物」とは縁遠い人生ですが、家族や友人にも恵まれ、幸運にも恵まれた人生を送っています。
 
人を褒めるとか、良い点を強調するとかは、その人の人生に何らかの良い影響を与えるのかも知れません。
 
わが社のスタッフをはじめ、囲りの人の長所を認め、褒めるように心がけたいと念じています。
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一年程前に、北海道の苫小牧市に住む長男から黒い肩掛けカバンが送られてきました。馬革のしっかりした作りです。
 
子供から贈り物が届くなどということは、めったにないことなので、大変嬉しかったのですが、どんな時に使うのかピンとこないまましばらく事務所に置いておきました。
 
半年程前から、知人に勧められて、マウンテンバイクに乗り始めました。休日で天気の良い日に、会社まで片道8キロの道を走ります。気分転換と健康維持に効果があるようです。
 
このマウンテンバイクに乗る時に肩掛けカバンが役に立つことが分かりました。北海道日高地方の伝統のある馬具製造業者が作ったカバンだけあって、使うほど、その良さが分かってきました。
 
カバンには忘れられない憶い出が二つほどあります。
 
一つは小学校入学時に父から届いたカバンです。陸軍軍属としてジャワ島スマラン市の鉄道部隊にいた父から「陸軍将校カバン」が送られてきました。
 
インターネットで調べたところ、「将校カバン」は小学生用のランドセルの原型だったようで、少し手を加えただけで立派な学童用ランドセルになりました。
 
昭和20年4月、敗戦直前の入学ですから、海上輸送事情の悪いなか、よく無事に日本まで届いたものだと思います。
 
物不足が極限に達していた時代にあって、子供の小学校入学前に、何としてもこのカバンを届けたいという親の思いが天に通じたのでしょうか。
 
小学校時代のクラス会に出ると、立派なランドセルを背負っていたな……などと今でも言われます。
 
二つ目の憶い出は、中学・高校時代の親友、三階徹君(http://www10.plala.or.jp/tika-infre/tuitou2.htm)から高校入学時に贈られたカバンです。
 
父親の祖国、韓国が「朝鮮動乱」で混乱するなか、母親の祖国、日本に帰国した三階君一家は、母親の故郷相馬に戻りました。
 
一家が帰国するに際し、医師だった父方の伯父から三階君に「はなむけ」として牛革のドクターバッグ(往診カバン)が贈られたようです。
 
日本でも、地方の開業医が往診の時に自転車の車体に二つ折りにして下げる立派なカバンでした。
 
経済的には、決して裕福とはいえなかった三階徹君が、「使ってくれ」と我が家に届けてくれました。「日本で勉学にはげめよ」という思いのこもったカバンを、私に使ってくれという三階君の気持ちをくんで、喜んで使わせてもらいました。
 
大学に進学した後も使っていたように記憶します。「勉強に励めよ!」という思いのこもったカバンを使ってはいましたが、その頃の自分は、あまり勉学には縁のない生活をしていました。
 
三階君は経済的には苦労しながら、大学院のドクターコースを修了し、中部地方のある大学で教授をしていましたが、5年ほど前に亡くなりました。
 
考えてみれば、その時代としては分不相応な立派な二つのカバンを使っていたことになります。
 
この二つのカバンを通して、少なからぬことを学びました。
 
一つは、本当に良いものは、使いこなし、使い続けることで、その本当の良さが分かるものだということです。
 
二つ目は、人にものを贈るという行為は、ものに託して、心の思いを送り届けることではないかということです。
 
私は、人に物を贈るという機会はめったにありませんが、贈るときは「心のこもったもの」をと心がけ、実行しているつもりです。
 
不動産仲介業をしていると色々な相談を受けることが多々あります。
 
時間をかけ、恵まれた自然環境の土地を求め、その地に、手間ヒマかけて建てた家、思いのこもった建物を、事情があって手放すような相談を受けるようなことも少なくありません。
 
既存住宅、中古住宅の中には、建て主・売り主のそんな思いのこもった秀れもの、良質な住宅も少なからずあります。
 
その思いと、建物と立地や環境の良さを分かってもらえる買主を探すこと。そんなお手伝いをすることも仲介業の仕事の一つだと自分に言い聞かせながら仕事をしています。
就活・婚活については、いまさら説明する必要もないぐらいポピュラーな言葉になっています。
 
住活という言葉はあまり聞かれませんが、ネットの世界ではかなり使われているようです。
 
Yahooで「住活」と入力して検索してみると、66,900件表示されます。Googleでは14,600件です。
 
住活つまり家探し、住宅探し活動は、就職活動、結婚相手探し活動と同じ、もしくはそれ以上に、生活や人生にとって大事な活動・行動です。
 
就活や婚活は自分も選ぶわけですが、同時に相手側も選ぶという、いわば「相互選択」関係にあるといえます。
 
住活、家探し、住宅探しは、自分の好み、考え、家族構成、予算などに合わせて、数多くの物件の中から自由に選ぶことができます。相手もこちらを選ぶということはまずありません。ご安心下さい。
 
特に、今のように物件過剰時代、買い手市場、借り手市場の時代には、少し時間をかけるつもりであれば、選り取り見取りの時代だといっても云いすぎではありません。
 
ただ、特定の地域に絞り込むと、なかなか、これぞという物件は見つからない場合があります。そんな場合でも半年、1年かければ必ずこれぞという物件に出逢えます。ただし、問題は、価格面で折り合いがつくかどうかです。
 
お客様が特定の地域にこだわるのには必ず理由があります。お子様の小学校の学区、両親や友人・知人の住まいの近く、職場との距離感(近すぎるのも敬遠されるようです)あるいはブランド地域といったことでしょうか。
 
特定地域へのこだわりや人気度、ブランド価値といったものを不動産鑑定評価の世界では、「地縁的選好性」といいます。
 
東京でいえば、田園調布とか、麻布、番町といったブランド地域もありますが、東横線沿線とか、小田急線沿線などに、地縁的選好性が現れるようです。
 
わが福島市では、森合町、霞町、花園町などにこだわるお客様もいらっしゃいますが、小学校区や職場との距離などで選ばれる方が多いようです。
 
考えてみれば、不動産仲介業という仕事の大部分はお客様の住活、つまり土地や住宅探しのお手伝いをすることにつきます。
 
売買仲介の場合、お客様は、一生一度の大仕事、高額な買い物をするわけですから、まさに真剣勝負です。
 
私ども仲介業者も、お客様の真剣勝負のお手伝いをするわけですから、心構えとしては、お客様同様に「真剣勝負」でサポートする姿勢・体制を心がけております。ここが、仲介業者としての勝負のしどころだと、自らに言い聞かせております。
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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