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由紀さおりさんの歌が欧米で人気が高いのだそうです。NHKテレビがゴールデンタイムの番組、クローズ・アップ現代で特集をしていたのを数日前に見ました。
 
由紀さおりさんが日本語で発声し、唄う歌を外国人が聴いて感動するメカニズムについて、音声学的、心理学的に突っこんだ解説をしていたのを聞いて、多くのことが分かり、納得するものがありました。
 
そういえば、坂本九さんの「上を向いて歩こう」も、スキヤキソングとして、米国では流行していたと記憶しています。もちろん、日本語で唄っていたわけです。
 
我々の年代には、熱狂的なビートルズ・ファンが少なくありませんが、つい最近まで、何で英語の歌に、あんなに夢中になるのかどうしても理解できませんでした。
 
最近の例でいえば、マイケル・ジャクソンの歌と振り付けについても、何か「伝わるもの」はありましたが、「感動する」というものではありませんでした。
 
外国人が原語で唄う歌は、その歌詞が、その意味が理解できなければ、分かるはずがないという「思い込み」が強く、素直に音楽、声楽として聴くことができなかったということが、大きな壁になっていたわけです。
 
NHKの番組は、そんな自分自身が作りあげてきた壁を見事に取り除いてくれました。
 
外国語の歌やオペラ、つまり声楽を、楽器の演奏と同じように、音楽として聴けば、言葉の壁はなくなるという、至極あたり前のことが、この年齢になってようやく理解できたわけです。
 
遅いといえば、あまりにも遅い。無知といえば、あまりにも無知なことですが、自分にとっては、「大発見」でした。
 
そこで反省しました。何でこんな初歩的な、誰にでも分かることが、今まで分からなかったのかと。
 
育った家庭環境は、音楽的には恵まれていた方だったでしょう。中学生の時は、ほんの短期間でしたが、高校の音楽教師をしていた義兄からピアノを習ったこともあります。
 
LP版でクラシックもずいぶん聴かされました。大学時代は、姉のお供で日比谷公会堂でイタリア・オペラを聴いたこともあります。
 
しかし、音楽の世界とは「縁なき衆生」、門外漢として過ごしてきたわけです。
 
音楽に対して、「構えて」いたことも一つの原因、理由でしょう。しかし、一番大きな理由は、音楽は何を伝えようとしているのか、何を言わんとしているのかを、言語表現、文章表現として、「大脳生理学的」にいえば、言語系として、理解しようとしていたことにあると、NHKの番組を見ながら思いあたりました。
 
童謡、民謡、演歌、日本の歌には言語系の脳も使って楽しむ、十分に受けとめることができるジャンルが多いことに気づきます。
 
言語系の脳と「音楽系(?)」の脳の両方を使ってはじめて楽しむことができる、場合によっては「感動」するのが日本の歌曲の特徴かなとも思いました。
 
しかし、よく考えてみれば、世界のそれぞれの民族や地域で歌われている歌曲も同じことが云えるわけです。
 
世界の各地で歌われる歌曲のなかで、歌い手の力量や歌曲そのものの音楽性・感動性・共鳴性の高いものが、世界で通用する、普及するのではないでしょうか。
 
つまり、言語系の力を借りなくとも、歌い手や曲そのものの音楽性だけで、世界が受け入れてくれるだけの音楽としての表現力・発信力が、世界で通用するためには必要なのではないかということです。
 
ボニージャックスやダークダックスが世界で通用したのも、彼らの合唱音楽が言語の壁を超えて、音楽として受け入れられたからに違いありません。
 
そういえば、母から音楽に国境はない、芸術にも国境はないと、よく聞かされていました。その意味を深く考えたりしたことはありませんでしたが、今にして、ようやく、言葉の壁を超えて、脳の言語系の力を借りなくとも、音楽や芸術は理解することができるということだったと分かりました。
 
そして、蛇足をつけ加えれば、音楽を楽しむ場合には、言語系の脳は休ませて、純粋に演奏そのものに耳を傾け、心を開けばよいのだということが、今にして、理解できました。
 
遅すぎた「春」のヤブニラミな文章表現、お許し下さい。
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プロフィール
HN:
高橋雄三
性別:
男性
職業:
不動産鑑定士
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